山形手打ちそば 羽前屋

 

 店主のページ 「社会への想い」 

 2007年を迎えました。今年も夕張市のように財政破綻となるような市町村が出ないとは誰が言えるでしょうか?わたしは今でも信じられないのです、物質的にあまりにも豊かに見えるこの日本社会において、あのような事象もなんかあたりまえに報道されていることが!またその危険性がある自治体が7市町村もあるかも知れないなどとテレビから流れてくることが、これはいったいどこの国で起こっていることなのだろうと。残念ながら、日本社会は良い方へ向かっているとは思えないのです。益々冷たい淋しい虚しい社会に入っていこうとしているように思うのです。これまで57年間生きてくることができて、感じていることを 『 社会への想い 』としてここに述べさせてもらおうと思います。

 豊かさっていったいなんなのでしょうか?ひょっとして30.40.50年前の方が、日本国民の多くの方が今の生活よりはるかに便利でなく食生活も劣るけど、安心・安全・将来の不安もなく活き活きと暮らしていたと思いませんか?団塊世代のみなさん、50.60代の皆さん、わたしたちの世代はとっても恵まれていたと、今ここまで生きることができたことも、我々の両親始め緒先輩方の頑張りのおかげであったと思いませんか。中国開封に行って、何10年前の日本の姿を至る所で見て、帰国後『 豊かさとは 』と毎日考えるようになっていたところ、時間つぶしに本屋さんでブラブラしているとなんと  『 豊かさとは何か 』 暉峻淑子著という本に出会ったのです。 

ほんとに暫らくぶりに書いています。いつの間にか60歳を迎えることができ己へのお祝いに2009年5月にソウルに行って来ました。ナヌムの家と安重根記念館を訪問する事ができまたNHKETV特集で朝鮮半島と日本との古代からの密接な交流の歴史を学ぶことができ、さらに多少ハングルを教えてもらえるチャンスを得て、人々が安心して生活するためには、あたり前に日本・中国・朝鮮半島の関係を大切に考えることの重要さを痛感しておるところです。また2010年3月19日には水俣フォーラムが募集する 『 水俣への旅 』 に参加して来ます。水俣については改めてご報告させて頂きます。

 2009年9月より毎月最後の周の月曜日に羽前屋店内で 「 想いを語る会 」「週刊金曜日読者会」を開催してきましたが、2019年3月31日をもちまして終了いたします。しかし、未来に続くいのちのために原発はいらない、オスプレイもいらないを念頭に社会を見つめ続けて参ります。どうぞよろしくお願いします。

 原発は未来のエネルギーなの?反原発のポスターに子どもの絵と「どこにすむの?」と書かれたのがあります。福島の子どもたちのことを最優先に考えるのがあたりまえになされることです。しかし経済産業省・文科省、政治家一般、大企業、そして地元の自治体と地方の有力者の姿勢がいったいどこにあるのだろうかと感じます。こんな大災害が起こったのにこの日本という国は何を大切にしているのだろうかと訝ってしまいますが、残念ながらこうした現状は戦後多くの転機といわれた時に、根源を問わずにうやむやなままに片付けられてきた歩みの延長線上そのものに現在もあるということなのでしょう。しかし今山形の隣の県に起こった問題に目をつぶる訳にはいきません、今変わらなければ益々異常な状態がさもあたりまえに評価されてしまう日本社会に向かうことになるでしょう。またあす、今7月5日午前0時30分です、晩安。

 

                          『 活きる 』   辻 春男

 「命に国境はない」 イラク戦争とはなんだったのか?という高遠菜穂子さんの講演を聞く。日本の自衛隊の活動は人道支援が6%に過ぎず、70%以上の

「命に国境はない」 イラク戦争とはなんだったのか?という高遠菜穂子さんの講演を聞く。
日本の自衛隊の活動は人道支援が6%に過ぎず、70%以上は米軍や武器の輸送が主たる任務であったという。そもそもイラク国内には宗派の対立はなく、家族の中でも入り混じっているほどスンニ派とシーラ派は共存した社会であった。しかし反米思想を色濃く示すイラクを攻撃するため米国は宗派間の対立を画策し、またイラクは大量破壊兵器を所有しフセインとアルカイダは繋がっているとして、国連議決を無視し2003年3月攻撃を開始、さらにイラクの民主化を大義名分として攻め入るのです。いち早く支援表明した日本国、今多くの国で「イラク戦争とはなんだったのか」を検証しているが、日本国にはそうした動きは見られないと高遠さんは嘆きます。当時自己責任と非難された彼女、子どもたちの命を救いたいと行動しただけなのに、問われなければならないのは何なのかの根源的問題はそのままです。現在イラクの子どもたちや赤ちゃんに、がん・白血病・無脳症など劣化ウラン弾の放射能の影響が現われているが、こうしたイラクの現実は何も報道されないのです。東日本大震災後、高遠菜穂子さんは何度も福島を訪れ支援活動をし、また『命』の大切さを訴え続けています。

 2011年3月11日の大地震、大津波によりたくさんの尊い命が失われました。この現実を何と表現してよいのか分かりませんが、想定外や未曾有ということで終わらせてはなりません。「命がうまれる」「生きる」「死ぬ」なぜと問うても分かりませんが、生きているということ自体が喜びではないかと62歳の今思います。100年前の日本人の平均寿命は40歳位、しかし現在世界には平均寿命が40歳の国があります。そうした国は水も食料などの物質も非常に乏しいと思いますが、物が溢れ過ぎてるような私たちの生活が豊かなのかと考えればさてどうでしょうか。今私たちは日本という国に住んでおり、2011年という時にとてつもない災害に遭遇しました。この現実は共有しなければなりませんが、たんに復興や復旧で終わってはならず、命を落とされた方々のためにも、誰もがすこやかに『活きる』ためのスタートにしなくてはなりません。

 さて震災後多くの本を読みましたが、分かったことはただ一つ『 原発はいらない 』ということです。少なくとも日本にあってはならないのです。ところが「原発なんて無いほうがいいが、代わりのエネルギーがなければ日本経済は成り立たない。電力不足が明白だから」と多くの人は言う。さてそうなのだろうか、わたしは次のような理由から原発は廃棄しなければならないと思います。

1.なんで日本に54基もの多くの原発があるのか?

 広島・長崎に原爆が投下され20万人以上の命が一瞬のうちに奪われますが米国の占領が終了する1952年まで被爆報道が制限されます。米国では1953年「アトムズ・フォー・ピース」と核の平和利用が叫ばれ、原子力潜水艦ノーチラス号の浸水式が盛大に行なわれます。1954年3月第五福竜丸他の多くの船団がビキニ環礁での水爆実験で大量の放射能を浴びた事件もお金で解決させられ、日本は莫大な原子力予算を計上し、1955年原子力基本法、1956年国際原子力機関に加盟し、さらなる『夢のエネルギー』開発へと邁進するのです。1970年の万博を国民的行事としてそれに敦賀1号の「原子の火」を灯すのです。チェルノブイリ事故の翌年、世界核従事事業者連合が組織され、日本は米国・仏国・英国・露国と共に原子力推進の主要な地位を担います。1974年の電源三法交付金以降日本は年2基ずつ程増設していき、永遠のエネルギー確保と称して現在も使用済み核燃料再処理工場や高速増殖炉開発にも莫大な費用を注ぎ込み続けているが、その訳を解明すべき時が今来たのです。

2.電力不足になるのか?原発コストは安いのか?

戦後電力の80%は水力発電、それが石油・石炭を使う火力発電が増設し、1970年代石油危機が叫ばれた時、日本は原発推進に舵を切りますが、米国の電力会社は原子力発電所の新規計画を止め火力発電中心のまま進みます。日本はCO2を排出しない環境にやさしいエコというきれいな言葉を多用しまた原発開発を進めます。しかし日本の電気料金はなんと米国の3倍であるという。 30%、将来は 60%を原子力発電でいくという国策を推し進めるために水力・火力発電を停止していくのです。将来のエネルギー問題に対し、諸外国は長期的に多角的に取り組むが日本は開発予算のほとんどを原子力政策につぎ込んでいるのが実態です。利権を守るために電力不足になるという恐怖を国民に煽っているとしか思えません。

3.原子力発電は安全なのか?

福島の事故から数ヶ月してもう「安全を確認して」再稼動へという動きが見られる。冬季の電力不足が心配とメディアの報道がある。今福島原子力発電所の状況はどうなのか全く見えないのに安全を確認し地元の了解を得て順次稼動して行くという国の方針をわたしは信じられない。なぜ人々の生活よりも原子力政策を守らねばならないのか?震度6以上の地震の一割が集中しているという日本国、欧米・ロシア・中国と比べてはるかに若い地層、弱い岩盤、至る所に活断層が走り、海底には4つのプレートがひしめきあっているという狭い国土37万平方km(世界の61番目)に、巨大な人口12千万人(世界10)を有する日本国が立っているのです。人の命が豊かな自然が放射能の危険にさらされても、原発の再稼動に向かわせる理由は何なのか?まだまだ、国自体の有り様が自立していないことの証しではと淋しい思いがします。

4.「核発電」の巨大なエネルギーを制御できるのか?

無人と化した双葉町商店街に《原子力 明るい未来のエネルギー》《原発で豊かな社会まちづくり》と書かれた看板があるそうです。原子力発電として平和利用という概念が植え付けられてきましたが、広島・長崎に落とした原爆と同じ核分裂なのです。一瞬のうちに炸裂させるか、核分裂反応を減速、冷却しながら一定の状態を持続させるかの違いです。でも制御のために一秒間に70トンもの水が必要とされる程の巨大な力です。鉄腕アトムの原子という言葉に夢の中の世界に洗脳されてきたのです。正確には【 核発電 】なのです。余りにも巨大な力は一度事故が発生すれば制御できるはずもありません。国際原子力機関や元の通産省や文部省が国民や子どもたちに原子力の安全思想を普及し続けているのです。そこには原発が動けば必ず生じる放射性廃棄物や使用済み核燃料が大量に伴って発生することは認識になくなり、そこには目に見えない放射能の存在など消えて無くなってしまいます。

さて、豊かさとは、発展とはなんでしょうか?

経済とは経世()済民の略で、物質の生産・流通・交換・分配・消費活動であり、経済成長とはあくまでも手段であり目的ではなく、畢竟、経済とは世を治め民の生活を安定させることにあります。団塊世代のわたしは1970年代頃、日本は経済大国・国民総中流時代と言われ、医療・教育等の水準も高くバランスのとれた世界で最も安心安全な社会と思っていました。ところがどこでどう舵を曲げられたのでしょう。規制緩和・民営化・消費税導入また介護制度も裁判員制度もいったい誰のために導入したと言えるのでしょうか?2001年の宇和島水産高校実習船えひめ丸が米海軍原子力潜水艦に衝突され9名の尊い命が奪われた時、また2006年夕張市が財政再建団体に移行し国の管轄下にという時、わたしはこの国の姿勢にからだが震えたのを覚えています。巨大な力は支配・格差・差別を好む、支配のためには国民には規律を課し、こよなく従順が尊ばれる。素晴らしくきれいな言葉で表現するが、様々な方策を使いあらゆる分野に混乱を作り出し続け、公正・平等・安寧・安穏などは決して省みられない。いつの間にか訳の分からない社会が造られてきてしまいました。爆発したのは原発だけでなく、豊かさ・便利さ・経済効率等煽り続けてきた社会のしくみそのものが膨張崩壊したのではと思います。2009年「国民の生活が第一」と叫ばれました。生命がうまれるの生と、流れが集まって勢いよく流れる意の活で生活であり、どちらも『 いきる 』意です。生活は衣食住だけではなく職・趣・学など多くの要素で成り立ちのです。2011310日までの生活がバラバラに断ち切られ苦しんでいる大勢の方々がいますが、為政者には放射能と同じくその姿は目に見えないのでしょう。今1歳の子どもが10歳になりそして20歳になる時が必ず来ます。その未来に生きる人々により良い社会を築いてもらわなければなりません。本来日本は、森林・川・海そして適度の気温と素晴らしい水環境にもとても恵まれた国なのです。深夜星空を見上げるとそれはうつくしいものです。地球もさぞ美しい星座なのでしょう。日本は恵まれ過ぎているのかも知れません。誰でも生まれた所、住んでいる所が大切です。そこを大事にしなくてどうするのでしょうか!日本がどんな所に立地し、どんなものを食し、何を大切にしなければならない国なのかを、改めて学ぶ時にしたいと思います。

『 未来のためにこそ原発は止めなければなりません 』

中国に「活到老、学到老」という表現があります。簡単に言えば一生涯学び続けるという意味です。欧米もアジアもイスラム世界のことも学び、日本の未来と現実を見つめる必要があります。ここまで生きられたことに感謝し、未来へつなぐためにこそ学び続けたいと思います。それが『活きる』ということだと想うのです。  

 

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