「ヤジロー」について

フランシスコ・ザビエルは、1549年8月15日に鹿児島へ上陸し、その時に案内をしていたのが、ヤジローです。

ザビエルとヤジローは、1547年12月上旬にマラッカで、運命的な出会いを果たしています。
ポルトガル人商人のアルヴァレスの紹介で、ヤジローと出会ったザビエルは、 「日本人は、彼のように知識欲旺盛な国民なのか?」と、ヤジローに深い感銘を受けたそうです。

ザビエルは、「自分が日本に宣教に行ったら、日本人はキリスト教徒になるだろうか?」と、ヤジローに尋ねたそうです。
すると、ヤジローは、『日本人は、直ぐにクリスチャンとは、成りません。
色々と質問し、その答えや説明されたことに満足したとしても、その教えと生活が一致するものかどうかを、確かめます。
それで納得すれば、キリスト教徒になるでしょう。』 と、答えたそうです。
そして、ザビエルは、2年足らずのうちに、日本へキリスト教を伝えに来ています。

ザビエルは、その翌年の1548年3月、ヤジローをインドのゴアに送り、聖パウロ学院で教理を学ばせ、 同年5月にヤジローは、洗礼を受け、『パウロ・デ・サンタ・フェ』という洗礼名を貰っています。
記録上では、ヤジローが、日本人で最初に洗礼を受けたクリスチャンなのですね。

ヤジローは、直ぐに鹿児島で説教を始めて、夜も昼も親戚たちに話し、彼の母や妻、親戚の男女や、 大勢の知人たちを改宗させ、鹿児島の人であったことは、確かのようですが、正確な姓名や素性、さらに、 薩摩藩のどこの出身かは、不明です。

アンジローとも呼ばれていたヤジローは、アルヴァレスの紹介でザビエルに出会っていますが、 人を殺害して役人に追われる身であったため、アルヴァレスにかくまってもらい、マラッカに渡ったようです。
しかし、殺人の動機等とともに、貿易商人とも言われていていますが、武士階級の身分等、詳しいことは分かっていません。

ライン

リストマーク 1.「キリスト教」
よく質問をされたり、私的に感じている事を書いてみました。

リストマーク
2.「東京都北区にある十条の街」
自信を持って紹介できる「十条の街」をセレクトしました。

リストマーク
3.「十条教会ニュース」
随時新しい「ニュース」をお知らせします。

リストマーク
4.「お薦めしたい本」
ぜひお読みいただきたい本です。

リストマーク
5.「聖書のことば」
誰でも、理解できるように書いてみました。