「武将高山右近」について

徳川家康の出したキリシタン禁教令によって、高山右近の足跡はかなり消し去られてしまったようですが、 高山右近は、1564年に12歳で洗礼を受けて、キリスト信仰と武将といった立場ですから、 かなりの葛藤があったと想像がつきますね。

1587年に豊臣秀吉が、伴天連(バテレン)追放令を出し、高山右近は明石六万国を没収されましたが、 1588年に前田利家から金沢に招かれています。
高山右近は、武将としての名を『右近』、茶の湯として名を『南坊(ミナミノボウ)=南蛮の坊主』、 クリスチャンとしての名を『重友(ジュスト)=義人』として活動しています。

1614年に徳川家康がキリシタン禁教令を出し、右近一家はマニラへ国外追放され、 高山右近は1615年2月3日に63歳で熱病にかかり、マニラで召天しました。

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