「罪」について
一般的な『罪』は、交通ルール違反/盗み/殺人/いじめ/虐待/ウソをつく/偽証する等の
法律・道徳に背いた犯罪があり、人間はさまざまな罪を犯すものですよね。
「私は、一度も罪を犯したことがありません。」等という人がいたら、それを聞いた人には、
「この人は、信用できない?」と、疑われますよ。 間違いない!!
新約聖書・マルコの福音書7章20〜23節でイエス様は、「人から出て来るもの、それが人をけがすのです。
内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫(カンイン)、貪欲(ドンヨク)、
よこしま、欺(アザム)き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、
人を汚すのです。」と、言われています。
しかし、私たちは弱さと愚かさが同居している為に、『罪』を認めようとはしませんが、
キリスト教会では本来的に持っている私たちの罪深さを『原罪』と表現して、
『原罪』が、私たちを苦しめている罪の正体なのですね。
私たちが時々うそを吐き、交通ルールを守らないから罪深いのではなくて、
私たちは、生まれながらに罪深さを背負って生きていて、本来罪深い存在なのですね。
なぜ、私たちは生まれながらに罪深いのでしょうか?
では、『罪』から救い出されるにはどうすればいいのでしょうか?
新約聖書:ローマ人への手紙5章18〜19節には、
「こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、
一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。
すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、
ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」と書かれています。
これは、私たちの始祖であるアダムが、宇宙を造られた父なる神様に背いて以来、
私たちは罪深さの中をさまよい歩かなければならなくなりました。
しかし、神様は人間をあわれみ、私たちの救い主としてイエス様をこの地上につかわされました。
そして、イエス様の命を代価として、私たちが父なる神様に背いた罪をあがない、
神様と私たちに和解が完成させられたのですね。
この和解の出来事こそが、『イエス様の十字架の出来事』です。
この『イエス様と十字架の出来事』を信じる信仰によって、私たちは、『罪』から救い出されたのですね。
聖書の中でも人気のある聖句を、載せさせていただきます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
ヨハネの福音書:3章16節
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