「山本琢磨」について

山本琢磨は、天保6年(1853年)、土佐国士佐郡潮江村(現在の高知市)に、 土佐藩の郷土である山本代七の長男として生まれ、父代七の弟・八平は同じ土佐郷士の坂本家に婿養子として入り、 坂本直足と改名しています。
次男に坂本竜馬をもうけており、山本琢磨と坂本竜馬とは血縁及び実質上の従兄弟です。

山本琢磨は、武術に優れ定ましたが、江戸に出た時に事件を起こし、訴追を逃れるため坂本竜馬の助けを得て、 江戸を脱出しています。

時が立ち、函館で暮らすうちにロシア正教会のニコライ神父(後の亜使徒聖ニコライ大主教)を、 日本侵略に向けた情報収集者と疑念を抱き、ニコライ神父を殺害する覚悟で大刀を持ち、 ニコライ神父の所へ出かけて行きました。

すると、ニコライ神父は山本琢磨の問いに対して、「キリスト教の教えを知っていますか?」と逆に質問をし、 「知らない。」と答えた山本琢磨に、「キリスト教が如何なるものかを知ってからでも遅くはないでしょう?」と対応したところ、 「確かにそれも一理ある。」と考えた山本琢磨は、ニコライ神父からキリスト教の教えを学ぶようになったそうです。

そして、山本琢磨はキリスト教禁制下の慶応4年4月2日(1868年)、秘密裡にニコライ神父より洗礼を受け、 日本ハリストス正教会の初穂(最初の信者)となりました。

その後、山本琢磨は各地の教会で多くのクリスチャンを育て、東京復活大聖堂(通称:ニコライ堂)建設に携わり、 福音宣教に生涯を捧げました。

明治45年(1912年)にニコライ大主教が永眠すると、山本琢磨も師の後を追うように、 翌大正2年(1913年)6月25日78歳で永眠し、青山霊園に埋葬されています。

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