「杉原千畝(ちうね)」について

チェリン・グラック監督、主演:唐沢寿明、妻役:小雪。
映画は、ナチス・ドイツの迫害を逃れるため、リトアニアの日本総領事館に駆け込んだユダヤ人難民に対し、 日本行きビザを発給した外交官の物語です。

杉原千畝(ちうね)氏が救った命は6000人、子孫は4万人に増えたといわれ、客席を見渡した小雪さんは「若い世代もいた。
興味を持っている学生さんなんですね。」と、感慨深げに語っています。

しかし、日本で知る人は少なく、唐沢さんはこの事を嘆きつつ、「こちらでは中学校の教科書に載っているが、日本では載っていない。
これを機に載せてほしい。
世界に誇れる人ですから」と、訴えています。

杉原千畝(ちうね)氏は、1900年(明治33年)1月1日に、岐阜県で生まれ、ソ連情勢把握のため、リトアニアの日本領事館に赴任し、 ナチス・ドイツの迫害を受けるユダヤ系難民を救うため、政府の命に背いて、日本への通過ビザを発給しました。

杉原千畝(ちうね)氏は クリスチャンですから、苦しみ祈った結果、杉原夫人に「ビザを出さなかったら、神さまに背くことだ。
私は自分の責任において、明日から発行する。」という敢えて訓令に反する決意を告げたのです。

この時のビザ発行の決意について、『手記』の中で「兎に角、果して浅慮、無責任、我武者らの職業軍人集団の、対ナチ協調に迎合することに よって、全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、 ビザを拒否してもかまわないとでもいうのか?
それが果して国益に叶うことだというのか?
苦慮の揚げ句、私はついに人道主義、博愛精神第一という結論を得ました。
そして、妻の同意を得て、職に忠実にこれを実行したのです。」と、書いています。

杉原氏は、リトアニアを去った後、ドイツ、チェコ、東プロセイン、ルーマニア領事館に赴任し、第二次大戦が終結し収容所生活を送った後、 1947年4月に日本に帰国しましたが、外務省を退職させられて 外務省を去って行きました。

しかし、語学力を生かして、世界平和建設団事務局渉外部長・ニコライ学院教授・科学技術庁・NHK国際局等に勤務しています。

そして、1985年にイスラエル政府より「諸国民の中の正義の人賞」を授賞された時は、新聞やテレビ等マスコミに騒がれますが、 一言 「当然のことをしただけです。」と語り、1986年に死去されました。

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