「少年使節」について

1549年に、フランシスコ=ザビエルが来日し、九州には 大友、有馬、大村とったキリシタン大名が誕生しました。
そして、伊東マンショ(13歳)、千々石ミゲル(13歳)、原マルチノ(13歳)、中浦ジュリアン(14歳)の4人が少年使節として選ばれ、 1582年2月に長崎を出航し、1584年8月にポルトガルのリスボンに到着しました。

少年使節の4人は、スペインの国王フェリペ2世、イタリアのトスカナ公国(フィレンツェ)のフランチェスコ1世に謁見し、 歓迎を受け1585年3月には、ローマ教皇グレゴリオ13世と謁見しています。

グレゴリウス13世は、グレゴリウス暦を制定したことでも知られていますが、ローマ教皇が日本からの少年使節を謁見したことは、 ヨーロッパ各地に報じられ、日本の正装で現れた4人の少年使節が、ラテン語で九州諸大名の奉書を読み上げたことは、 大きな反響を呼んだようです。

しかし、苦難に満ちた航海の末、1590年に長崎に帰着した時には、豊臣秀吉がバテレン追放令(1587年)を出して、 キリスト教を禁止していました。

そこで、4人の少年使節が豊臣秀吉に謁見し、バテレン追放令の解除を願い出たことにより、過酷な運命にほんろうされることとなりました。

伊東マンショは宣教師となって活動しましたが若くして病死し、千々石ミゲルは棄教。
原マルチノはマカオに追放され、中浦ジュリアンは殉教しています。

しかし、安心して下さい。
キリスト教が禁止された時代が長く続いた日本で、主(イエス様)を信じ続けて殉教した人たちは、天国で喜びの日々を送っています。

現代に生きる私たちは、殉教させられることなく、自由にクリスチャンとして生活することが出来ます。
何と幸せなことであるかを認識しつつ、主(イエス様)に感謝して歩んで参りましょうね。

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