「西郷隆盛」について

西郷隆盛と勝海舟は旧知の仲で、勝海舟が、「腐敗した幕府にはもう統治能力はない。 雄藩による共和政治を行うべきである。長州藩を潰(つぶ)すぐらいなら、むしろ幕府を潰しなさい。」と、 西郷隆盛に伝えた時は、幕臣の勝海舟が、まさかこんなこと言うとは、西郷隆盛もそうとうびっくりしたでしょうね。

西郷隆盛は勝海舟を信頼して、江戸城進撃を中止し、江戸城無血明け渡しが決定したのですね。

西郷隆盛が好んで説いた言葉は、『敬天愛人(天を敬い、人を愛する)』で、 新約聖書マタイ5章43〜45節の「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。」と言われたのを、 あなたがたは聞いています。しかしわたしはあなたがたに言います。 自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。 天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を昇らせ正しい人にも正しくない人にも雨を降らせて下さるからです。」 の言葉どおりに、西郷隆盛は降伏した敵方の武将に対しては、非常に寛大な措置をとったそうです。

鹿児島市立西郷南州(なんしゅう)顕彰館(けんしょうかん)には、西郷隆盛ゆかりの品々が展示されていて、 その中に漢訳聖書(旧約)があり、「西洋人と交際するには、彼らの精神・心を理解することから始めなければならない。」 というのが、西郷隆盛の聖書研究の始まりであったようです。

西郷南洲顕彰館館長の高柳氏は、「『西郷隆盛が側近に漢訳聖書を貸し与えた。』との記述もあることから、 西郷隆盛が聖書を入手し、読んでいたのは確実で、間違いなく西郷隆盛さんは、 晩年においてキリスト教を信じておられた。」と語っています。

明治10年(1877年)に、鹿児島へ戻った西郷隆盛の意思に反して、新政府に不満を抱える士族たちが、 反乱を起こした西南戦争。
西郷隆盛は教え子たちと共に、その生涯を終える道を選び、戦いに敗れて鹿児島・城山で自刃(じじん)しました。

侍の世を終わらせ、侍と共に果てることを選んだ西郷隆盛は、イエス様の愛の精神を持って、時代を作ったのですね。
これは、神様は意外な人物をも用いて、御心を成し遂げられることの、証しなのではないでしょうか。

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