「きむら りひと(木村利人)」について

きむら りひと(木村利人)は、『幸せなら手をたたこう』の作詞について、


「私が、この曲の作詞をしたのは、早稲田大学の学生であった1959年のことである。
当時フィリピンのマニラ市郊外で国際学生ワークキャンプが開催され、私は比韓米独などの学生たちと共にそれに参加し、 整地等の労働奉仕をした。

ある夜、フィリピンのキャンプ仲間の一人が涙を流しながら私の手をとって、『今度の戦争で父親を失った。
日本軍と日本人が憎らしく、どうしても許せなかった。
しかし、いま日本人の若い世代の君と、こうして平和の中で一緒に仕事をし、汗を流し、心に変化が起きた。
過去を許し、未来に向けて悲惨な戦争を再び起こさぬように、若いぼくらが誓い合おう』と、語ってくれた。

その後、彼が本当に『態度に示して』親切にしてくれたことが、今でも忘れられない。

引き続いての農村復興キャンプの宿舎となった、ロカオ小学校の校庭で、その生徒たちが大声で楽しく歌っていた、 バンガシナン語の歌のメロディー(後にスペイン民謡曲が原曲と判明)に合うように作詞したのが、 この『幸せなら手をたたこう』だ。

『手をたたこう』は、聖書の『すべての国々の民よ。 手をたたけ。 喜びの声をあげて神に叫べ。 旧約聖書の詩編47編1節からヒントを得たものだ。

作詞後5年経った1964年の東京オリンピックの年に大流行し、日本に集まった外国の観光客や選手たちによって歌われ、 日本の歌として世界に広まっていった。

平和の幸せを大事にし、手をたたいて喜び、態度に示して手をつなぎ、お互いに助け合おうという願いをこめて作詞した。

これは、今の私の専門分野であるバイオエシックス (生命倫理) の根本にある精神と一つに重なり合っているのだ。」


と、記しています。

「過去を許し、未来に向けて悲惨な戦争を再び起こさぬように、若いぼくらが誓い合おう」と、日本人が戦争に突入して行き、 私たち日本人が犯した罪を、許してくれる大きな愛の言葉を聴くたびに、感じることが有ります。

アメリカを中心とした国へ、『無条件降伏をした日本』(自ら戦争へ行った軍人さんや、 長崎と広島で起きた悲惨な状況を知りつつ、「戦争に負けた。」&「原子力発電所の事故は、起こるべきして起きた。」とは、 口が裂けても認めずに、原子力にこだわり続ける、頑固な意地っ張りやさんは、即刻引退し、認める努力を・・・・ 頑固は損気)の成すべき事は、

原子力爆弾を投下された、長崎&広島の教訓を生かし、 『原子力の平和利用』等と言って推進してきた科学者&政治家さんや現在携わっている科学者と政治家さんたちは、 直ちに、悔い改めて(人によっては「死刑にすべきだ。」と、言った怖い意見もありますが・・・・・)、 先ずは、現在使用中の原子力発電所を無くせるように、最善を尽くす(作る事が出来たのですから、 安全に壊し、処分する事は、当然出来るはずと、期待します。)

これからの科学者と政治家さんは、原子力以外の安全な新しい電力資源を開発し、 世界平和に貢献して頂きたいものですね。

私たちは私たちで、出来ることをして参りましょう。

『幸せなら手をたたこう』

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