「試練という神様がくれたプレゼント」について

僕の夢はコンピューターエンジニアだ。
なぜかというと、コンピューターというものは、これから将来絶対必要になってくるし、誰もが使えるからだ。
その上、世界中の人とコンピューターを通じて触れ合えるから。

僕は現在、車椅子を使っている障害者だ。
でも、小学校のときから健常者と同じように学校に通っている。
テストも受けている。友達もたくさんいる。
ただ、足と手が自由に動かないだけだ。

授業は先生がノートを書いてくれているし、テストは、僕が口で言ったことを聞き取り、 先生が書いてくれる。 友達も優しい。なにも不自由なことはない。
学校の行事は全て参加している。 体育大会も。 音楽コンクールも。 文化祭も。
体育大会は、活動範囲が狭くなるけれど、それでもできる範囲で一生懸命取り組んでいる。
結果がどうであれ、楽しんで参加する。
そうしないと、後悔する気がするから。
音楽コンクールでは、クラス対抗で歌を競う。 もちろん僕も舞台に上がり、精一杯歌う。
中学時代の思い出は一生心に残る。 その思い出を僕はなるべくいい思い出にしたい。
だから、どんなことにも精一杯がんばる。

僕はこの障害を不満に思ったことは、一度もない。 周りは「大変ねぇ」とか、 「歩けたらいいね」なんて言う。 確かにその意見もありがたい。
しかし、僕自身はそうは思わない。 逆に僕は、この障害を「神様が与えてくれた試練」と考えている。
きっと神様が、この子なら試練に耐えられるだろうと、特別に選んだのだと思う。
その試練があるからこそ、僕が僕らしく生きることができるのだろう。

「試練」ということばを別の言葉に置き換えると「プレゼント」になる。
障害は神様がくれたプレゼントなのだ。
僕は行きたい高校がある。 僕は学習面では問題は一切ない。
日々の努力を大切にし、毎日少しずつ受験に向け、がんばっている。
勉強はどんどん難しくなる。 でも、僕は、めげない。 僕を応援してくれている人のためにも。

だけど最近、受験の話が本格的になり、障害者の受験は厳しい道のりだよ。 と聞かされた。
しかし僕は、厳しいからといって、諦め心や、受験校のランクを落とす考えが頭に過ぎれば、 毎日、がんばってきた日々が無駄になると思った。
僕は、厳しいといわれたら、やる気が出る、負けず嫌いだ。 実際に車椅子で高校に行った人は何人もいる。 その中の一人に僕は加わるのだ。
そういう強い気持ちを持っている。

僕は受験を「航海」に例える。
障害者の受験を航海に例えると、荒波の大海原を雨風に吹かれながら 目的地にはたどり着けることができないかもしれない船だ。
でもその荒波や雨風を乗り越えて目的地に着いた時には普通に航海するより喜びが味わえると思う。

雨風も荒波も「神様が与えてくれた試練(プレゼント)」だ。
この子なら試練に耐えられるだろう、この子ならやり遂げられるだろうと神様から選ばれたのだ。
荒波が何だ。 何が雨風だ。 そんなものに負けてたまるか。 かえってぼくの闘志を駆り立てる。
そんなものに負けてたまるか。 僕には目的地がある。
高校合格といった目的が。 目的地に向かって精一杯努力を重ねていくだけだ。
そうすると自然に結果は後からついてくる。

ここで沈没したりしては、神様や僕を応援してくれる人に失礼だ。
神様や応援してくれる人たちをがっかりさせないためにも、自分の夢をかなえるためにも、 目的地を見据え、手探りでも目的地に着く。
荒波にもまれ、雨風にさらされる分、人も強くなっていく。 僕は強い人間になりたい。

だから、試練も何でも乗り越える。
実際、航海はもう始まっていると思う。 日々の努力と強い心を忘れず、 これからも一歩一歩、僕は、着実に進んでいく。

 酒井建志(大阪市立天王寺中学3年)   

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