「新渡戸稲造」について
1984(昭和59)年11月に旧五千円札の肖像となった(現在の五千円札の肖像は樋口一葉)
新渡戸稲造は、盛岡藩士新渡戸十次郎の三男として盛岡に生まれ、札幌農学校に進み「少年よ、大志を抱け」の
クラーク博士の教えを受けた後、洗礼を受けてクリスチャンとなりました。
卒業後アメリカ、ドイツへ留学し農学・経済学等を学び、帰国後、札幌農学校の教授となりましたが
体調を崩し、米カリフォルニア州で療養することになりました。
その療養中に「Bushido(ぶしどう)」を出版したのです。
帰国後、北海道の女子校北星学園の運営に関わり、同学園の命名者となり、
第一高等学校長や東京女子大初代学長を歴任し、女子経済専門学校(現東京文化学園)の初代学長に
就任し、当時遅れていた女子教育にも取り組まれました。
他にも、国際連盟事務次長となり、国際平和に力を尽くし、アインシュタインやキュリー夫妻とも交流
があり、バルト海のオーランド諸島帰属問題を「新渡戸裁定」で見事な紛争解決手腕を発揮しています。
国際連盟事務次長辞任後も「日本を国際社会の孤児にさせてはならない」と訴えましたが、
新渡戸稲造が活動した時代、日本は戦争への道をひた走っていたため、
「日本を滅ぼすものは共産党と軍閥である。
そのいずれが怖いかと問われたら、今では軍閥と答えねばならない」と発言したことに対して、
新聞や軍人に強く批判されたのです。
このような国際人の存在は、当時の軍部にはあまり嬉しくなかったため・・・・・。
これほど活躍をした新渡戸稲造が、五千円札の肖像になるまで、あまり知られていなかったのは、
不思議ですね。
ともあれ、新渡戸稲造の根本にあったのは、イエス様の愛なのです。
イエス様は素晴らしいですね。
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