「福澤 満雄」について
福澤 満雄(ふくざわ みつお)牧師は、日蓮宗の家に生まれで、ボルネオ島に出征し敗戦後に酒乱となった父親に、
虐待をされながら極度の貧困の中に育ち、小学4年生の頃から、妹と野菜泥棒をして飢えをしのいだそうです。
福澤牧師が17歳の時、母親に暴力をふるう父親を、刺し殺そうとしましたが、母親に泣きながら止められたそうです。
ニコンに就職した福澤牧師は、会社で行われていた『聖書研究会』に出席するようになり、キリスト教会の礼拝にも出席し、
1年後の8月に、主(イエス様)を信じて悔い改めて、クリスチャンとなりました。
8年間ニコンで働いた後、両親に「神学校に行く。」と告げると、父親には「ヤソの坊主にだまされている。」と言われ、
母親も「給料が無くなる。」と言って泣かれたそうです。
東京聖書学院を卒業して、クリスチャンの女性と結婚し、開拓伝道を始めますが、
崩壊家庭で父親に虐待されて育った福澤牧師は、しつけらしいしつけを受けておりませんでしたので、当初、
奥様を愛することが出来ず、奥様が、福澤牧師の母親代わりとなり、食事のマナーから教えたそうです。
さらに、父親に虐待される夢にも苦しめられていた福澤牧師でしたが、50歳の時に、奥様がオリーブ油を塗って祈ると、
悪夢から解放されたそうです。
福澤牧師の父親は、亡くなる一ヶ月前に主(イエス様)を信じて、召天(ショウテン)しています。
福澤牧師の著書『主とともに歩む』の中には、このように書かれています。
二月の寒い朝、五時起床、冷蔵庫のように冷えきった礼拝堂。
早天祈祷会に信徒の方々が集まるまでに会堂を暖めておくこと、そして、まず自らが祈っておくことの二つが、
牧師としての務めでした。
私はストーブに火をつけ、講壇の前に座布団を敷き、ひざ掛けをあて、祈り始めました。
祈りのノートには二百名以上の名前が記されていました。
早天祈祷会の時間までに祈り終えたい。
そんな願いから、祈りに拍車がかかりました。
「神様、Aさんを祝福してください。 Bさんをお癒しください。 Cさんに良い仕事が見つかりますように。」
しかし、祈っている最中に、急に心の中にポカッと穴があいたように感じました。
何とも言えないむなしさが全身を覆いました。
座布団にすわり、ストーブで身を暖め、まるで自分が主人で、イエス様が下僕のようになっているではないか。
私はここで一体何をしているのだろう。
「主よ、主よ」と叫んでいるが、これが祈りなのだろうか。
私はその朝から、このような祈りをやめました。
弟子たちは、イエス様の祈っている姿を拝見し、その祈りの言葉を聴いたとき、
自分たちの祈りと全くかけ離れていることに気がついたのでしょう。
「私たちにも祈りを教えてください」と言いました。
(そして)「神様、……してください」ではなく、「神様、私は何をしたらよいのでしょうか。」と、
神様に聞く祈りを学び始めたのです。
今も祈るたび、「主が目に見えるお姿でここにおられたら、本当にこのような祈りをするだろうか?」と
反省を繰り返しています。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを
行う者が入るのです。」 新約聖書:マタイの福音書7章21節。
主よ。今日も私に、祈ることを教えてください。
アーメン。」と。
福澤牧師は、「・・・・・座布団にすわり、ストーブで身を暖め、まるで自分が主人で、
イエス様が下僕のようになっているではないか。
私はここで一体何をしているのだろう。
『主よ、主よ』と叫んでいるが、これが祈りなのだろうか・・・・・」と、
そして、主(イエス様)の弟子たちも、イエス様の祈っている姿を診て、祈りの言葉を聴いた時、
「『私たちにも祈りを教えてください』と言いました。」と、気づいたそうです。
私たちも、自己満足や人に良く視てもらいたいが為に、祈るのではなく、
「主よ、貴方ならば、どのようになさいますか?」とお尋ねし、行動して参りましょうね。
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