「ミッション・スクール」について
1859年に、プロテスタント宣教師が来日して以来、彼らが開いた家塾からは、多くのすぐれた日本人指導者が生まれ、
そこから明治学院やフェリス女学院など、最初のキリスト教主義学校(ミッション・スクール)が誕生しました。
欧米主義によって、キリスト教主義学校(ミッション・スクール)は、著しく発展しました。
また、日本人全体の約1割は、何らかの形でキリスト教教育機関の出身者だそうです。
明治20年代には国家主義が高まり、「教育勅語」が発布されました。
1891(明治24)年、第一高等中学校の内村鑑三が「教育勅語」の親書(天皇の署名)に礼拝しなかったことを不敬とする、
いわゆる「不敬事件」がおこりました。
さらに、熊本県では県知事が、キリスト教信者の小学校教員を威嚇(いかく)して、聖書を読んだ小学生を、
退学にさせる事件がおこりました。
これらを受けて、東京帝国大学教授の井上哲次郎は、1893年『教育と宗教の衝突』を発表し、
『国家主義教育』と『宗教』は、衝突するものであると説きました。
この説は大きな論争の火種となり、キリスト教主義学校(ミッション・スクール)では、生徒数が激減し、
財政的にも行き詰まったそうです。
さらに1899年には、宗教教育禁止令が発せられ、キリスト教主義学校(ミッション・スクール)は、
存続の危機に立たされました。
しかし、指導者たちの忍耐強い交渉によって、1900年代には安定した進展を回復し、とりわけ、女子高等教育に関して、
キリスト教主義学校(ミッション・スクール)は、社会に多大な貢献をしていますね。
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