「靴屋のマルチン」について

『靴屋のマルチン』

ある老人が聖書を読んでいる時に、「一目でもいいから、主(イエス様)にお会いしたい。」と思い、神様に願いました。

すると、「マルチン!明日、通りを見ていなさい。
私が会いに行くからね。」と言う、主(イエス様)の声が聞こえました。

クリスマスの朝早くマルチンは、夜明け前に起きて神様にお祈りをし、いつもより窓際に腰掛けて、仕事に取り掛かりました。
マルチンは仕事をしながら、手を動かすより余計に外を眺めてばかりいました。

すると、手にシャベルを持った老人のステパーヌイチが、マルチンの靴屋の前を通りました。
マルチンが、ふと外を見ると、ステパーヌイチがシャベルにもたれて、ぼんやり立っているのが見えました。
ステパーヌイチは、おなさけで隣の商人の家に養われているおじいさんでした。
「年をとって疲れきっているので、雪をかく力も無いんだな。」 と思い、マルチンはステパーヌイチに手招きをして、 ドアを開けると、凍えた老人が中へ入って来ました。
「暖炉のそばでお茶でも飲んで、温まると良いですよ。」と、マルチンが声をかけました。
二人でお茶を飲んでいると、マルチンが、外を気にしてばかりいるのを見て、ステパーヌイチが、 「だれを待っているのですか?」と尋ねました。
マルチンは、気恥ずかしそうに、「誰を待っているのか、言うのも恥ずかしいことですが、昨晩私が、 いつものように聖書を読んだ後、祈りつつ、うとうとと眠りこけていると、『マルチン!明日通りを見ていなさい。
私が会いに行くから。』と言う声が聞こえたのです。
『私も老いぼれて、やきが回ったかナッ!』と、思いながらも、こうして主(イエス様)を待っているのです。
主(イエス様)は、方々を歩き回って、どんなに身分の人をも、見下げることなく、かえって弱い人たちとばかり、 一緒にいたのです。
神様の子でありながら、しもべの様に人々に仕えて、弟子の足を洗い、人間の苦労を背負って、 十字架におつきになったのです。
しかも、罪深い私たちを愛してのことなのです。
そして、『イエス様は貧しい者、悲しんでいる者、へりくだっている者こそ、神様の国では、幸せな者なのです。」と、 おっしゃって居られるのです。」と答えました。
すると、ステパーヌイチは、お茶のことも忘れ、じっと腰掛けて聞いていましたが、知らないうちに、涙がぼろぼろと、 頬を流れていました。
「ありがとう、マルチン。 おまえさんは私に、ご馳走して、心も体もすっかり養ってくれました。」
そう言うと、ステパーヌイチはゆっくりと外へ、出て行きました。

外はすっかり冷えきって、風が少し強くなってきました。
そんな中、みすぼらしい身なりをして、子供を抱いた見知らぬ婦人が、マルチンの窓の前を通り、 建物の間で風の方に背を向けて、立ち止まりました。
凍える子供を何とか包んで暖めようとはしていますが、着ている物は粗末な夏服だけで、包み込む物も無い様子でした。
マルチンは、「どうしてこんな寒い中、赤ちゃんを抱いて外になんか立っているのですか?
暖かいから中へお入りなさい。
赤ちゃんも温まれるよ。
さあ、遠慮をしないでお入りなさい。」と、暖炉のそばに、婦人を座らせました。
そして、マルチンが、食卓の方へパンとシチューを取りに行き、テーブルを整えて、その上に並べて、 「さあ、これを食べて暖まりなさい。
赤ちゃんは、私が見て、あげますよ。
私にも昔、子供がいたから、子守りぐらいは、できるからね。」と言うと、婦人は頭を下げ、夢中に食べ始めました。
婦人は、少し落ち着くと、「わたしの夫は兵隊に取られて、もうかなり経つのですが、8ヶ月前に遠方にやられて以来、 連絡が絶ってしまいました。
それ以来、メイドをして暮らしていたのですが、小さい子供がいては、なかなか使ってくれる人が居ません。
私は、これでもう3ヶ月、仕事もなしにうろついていたのです。
家主のおかみさんは、可愛そうに思って、部屋に置いては下さるのですが、持っていた物は残らず食べてしまい、 1枚の残っていたショールも、昨日、質に入ました。
冬着もない始末で、この子にも、寒い思いをさせてしまっているのです。」と、身の上話をしました。
すると、マルチンは子供を婦人に返し、奥の方へ行き、古い冬着を1枚、見付けて来て、 「古着ですが、赤ちゃんを包むぐらいの役には立つでしょう。」と、差し出しました。
婦人は涙ぐんで、「ああ、おじいさん、主(イエス様)が、あなたを祝福してくださいますように。
きっと主(イエス様)が、私をこの窓の前に導いて、おじいさんが外を見るように導いて下さったのです。」と言うと、 マルチンは、照れくさそうに笑んで、「ああ、確かに主(イエス様)のなさったことだよ。
私が窓を見ていたのには、ちゃんと訳があったからね。
これでショールを買いなさい。」と言って、彼女に銀貨を与えました。
婦人は何度も、何度もお辞儀をして靴屋を後にしました。

時間が過ぎて夕方になり、ふと外を見ると、物売りのおばあさんが、りんごの入ったカゴを肩に背負い、 重いので背負いなおそうかと、カゴを地面において、一息ついていました。
すると、どこからともなく現れた男の子が、売り物のりんごを1つ、掴んで走り去ろうとしましたが、あっけなく、 ばあさんに襟首をつかまれて、捕まってしまいました。
泣き叫ぶ男の子の髪の毛を無理やり引っ張って、男の子を交番に連れて行こうとしていました。
すると、マルチンが二人の間に割って入り、男の子の手をつかみ、「まあ、おばあさん、後生だから、はなしておやりなさい。」 と言いましが、「私は、ぶってから、この小さなごろつきを、交番に引き渡すよ。」と、おばあさんは、 許す気配がありませんでした。
なきじゃくる男の子を見てマルチンは、「もうこんなことをしては、いけないよ。
私が、このりんごをお前に買ってあげるからね。」 と言ってから、おばあさんにお金を手渡しました。
おばあさんは、子供をにらみつけてから、「あんまりごろつきを、甘やかすもんじゃないよ。
こういう奴らは、ひどい罰を与えないと、また同じことを繰り返すだけさッ。」と言いました。
すると、「まあ、おばあさん、私たちの考えは、そうかもしれません。
しかし、神さまのお考えは、そうではないんだよ。
もし、りんご1個のために、あの子をムチでぶたなきゃならないとしたら、私たちの罪のために、私たちは、 何をされなければならないのでしょうか?
主(イエス様)は、私たちの罪を赦すために、命までも下さったのですから、 私たちは、どんな人の罪でも赦さなきゃいけないね。
考えのたらない子供には、なおさらさではないのかな?」とマルチンが答えました。
おばあさんは、子供を見ると、ふと息を付き、自分の子供のことを思い出して、優しい顔になり、 「私たち年寄りが、主(イエス様)のことを教えてやらなければ、いけないね。
どうか神さま、この子をお守りください。」と言って、荷物を背負い、行こうとした時、 「おばあさん、僕が持っていくよ。」と、男の子が荷物を背負って、おばあさんと二人並んで歩いて行きました。

マルチンは仕事を片付けて、すっかり暗くなった部屋の奥でランプを灯して、聖書を開くと、 誰かが後ろにいることに気がつきました。
「マルチン。マルチン。 あなたは私がわかるかな。」
「だれですか?」と、マルチンが答えると、「ほら、これが私だよ。」と声がして、よく見ると老人のステパーヌイチが、 にっこり笑って立っていました。
「ほら、これも私だよ。」と声が聞こえると、いつの間にか、子供を抱いた婦人の姿に変わっていました。
そして、「これも、私だよ。」と、声がすると、そこには、おばあさんとりんごを1つ手にした男の子が立っていましたが、 やがて、雲のように消えてしまいました。
ふと、マルチンが開いた聖書の箇所に目をやると、そこには、このように書いてありました。

『まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』 新約聖書:マタイの福音書25章40節
昨晩の声は夢ではなく、クリスマスの日に、救い主が自分の所に来てくださり、 主(イエス様)を正しくお迎え出来たことを思って、マルチンの心は喜びで一杯になりました。


『靴屋のマルチン』は、このようなストーリーで、
「まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」 と言う『セリフ』は、天国で主(イエス様)にお会いできる時に、主(イエス様)が語ってくださるのです。

私たちが、最も小さな者の一人を愛することは、実は、主(イエス様)にお会いしていて、貧しい人に食べ物をあげることや、 苦しんでいる人を慰めることや、道端で暮らす小さな子供に愛を示すことも、実は、主(イエス様)にしているのですね。

「一目でもいいから、主(イエス様)にお会いしたい。」と言う、同じ気持ちの方は、居りませんか?

あなたがそう願うなら、主(イエス様)は、マルチンに会ってくださったように、私たちにも会ってくださいますよ。

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