「計算ずく」について

『計算ずく』とは、「損得を考えたり、結果を予測したりしたうえで行うこと。」を言います。

損得(損失と利得)で、得になることだけを行う人生のみでは、味気ないと思いませんか?

新約聖書:ヨハネの福音書6章5〜13節には、

『イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。
「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。
イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
ピリポはイエスに答えた。
「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。
しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」
その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。
そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。
また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。
「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」彼らは集めてみた。
すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、
なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。 』
と書かれています。


弟子のピリポが、大勢の人を見て驚き、
「大勢の人々に食べさせるパンを買うお金も無いし、
お金が有ったとしても、これだけの群集のパンをどこから調達する気?」と、
『計算ずく』で主(イエス様)に答えている場面です。

確かに、私たちも弟子のピリポのように、常識的に判断をして行動をすることが多いと思います。

しかし、主(イエス様)は「少ない捧げ物から、多くの数へ」と、
気前よく多くのプレゼントに変えて、恵みとして与えて下さいます。

私たちが考えている小さな額や小さな知識を、神さまを第一として考え、神さまのために用いると、
不思議と神さまが祝福をして下さり、平安の心が与えられ、

一番ではないかもしれませんが、勝利と思える結果を勝ち取ることが出来ます。 

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