「悲しいはずなのに」について
私が幼稚園に通っていた頃、益田さんというお婆ちゃんを、病院へお見舞えに行った事がありました。
益田さんは、私のことをとても可愛がってくれました。
益田さんからお金をもらったり、物を与えられたのではなく、益田さんの話し方や実行を見て、
子供心にも人の優しさを知りました。
母が「益田さんが重病で入院をしていて、死ぬ前に(孝)タッチャンに会いたいと言っているので、
これからお見舞えに行くよ。」と、タクシーに乗せられて病院へ行きました。
益田さんは死の間際に、辛かったと思いますが、他人の私に会いたいと、
病院のベットの枕元に呼んでくださったのです。
そして、益田さんや病院通いをしていた私の母が亡くなっても、
「(孝)タッチャンは、一人ではないよ。悲しくなんかないんだよ。」と言って、
自分のことより他人である私の幸せを願い、私を励ましてくれました。
何にも変えられないイエス様からのプレゼントは、
子供の頃から、益田さんのような優しい人に囲まれて居ることです。
新約聖書の第二コリント人への手紙6章10節には、「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、
貧しいようでも多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」と書かれています。
クリスチャンは、人に「悲しいはずなのに」と思われても、神様からありのままを受け入れられて平安があり、
どのような試練の中にあっても心が安らかで居られるのです。
あなたも、キリスト教会へ行ってみませんか。
そして、イエス様から「真実の幸せのプレゼント」を受け取ってくださいね。
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