「十字架の信仰」について
聖書に出てくる『預言』という言葉は、予告(あらかじめ告げたとおりに、事が起こる)と、同じような意味で
用いられていますが、『神さまの言葉を預かる』ということです。
旧約聖書の詩篇22篇は十字架の預言で、紀元前1000年頃に書かれたことが、イエス・ キリストの十字架において
実現しただけではなく、詩篇の中には、十字架の真理が込められています。
その中には「父よ、彼らをおゆるし下さい。」という、愛に満ちた素晴らしい言葉と、「我が神、我が神、どうして私を
お見捨てになったのですか」といった、誤解を受けやすい言葉も有ります。
しかし、表面的に見れば、神さまから捨てられ、救い主としては失格者のようですが、主(イエス様)は、十字架の上で、
詩篇22篇の最初の部分を語られたのです。
それは、22篇1節だけが実現した、という事ではなく、文脈(22篇)全体を読むと、十字架の情景が一致していることが
分かります。
詩篇22篇18節「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」は、
ローマ軍の兵隊たちがこのように行ったことが、新約聖書の福音書に記されています。
主(イエス様)は、自分の状況と詩篇22篇を対比し、十字架の本当の意味が隠されている事を、弟子達に示すために、
22篇の最初を語られました。
主(イエス様)は、「たとえ、自分が父なる神さまから、見捨てられたようになり、叫んでも、神さまは救って下さらない。」
と思われても、詩篇22篇3節「けれども、あなたは聖であられ」と、十字架刑が苦しい事ではあっても
「神さまは聖なる、素晴らしい神さまです。」と、告白しています。
これが十字架において示された、主(イエス様)の信仰です。
私たちも困難に遭遇し、悩んだり苦しんだりしても(クリスチャンであるがゆえに、辛い目に遭うことが有るかもしれません)、
神さまは聖なるお方/全知全能の神/尊いお方ですから、周りの状況はどうであれ、神さまを信頼していれば
絶対に大丈夫ですね。
次回は、『十字架の力』について、考えて見ましょう。
1.「キリスト教」
よく質問をされたり、私的に感じている事を書いてみました。
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2.「東京都北区にある十条の街」
自信を持って紹介できる「十条の街」をセレクトしました。 |
3.「十条教会ニュース」
4.「お薦めしたい本」
5.「聖書のことば」
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