「池田政代さん」について

水沢の旅館・池田屋の女将(おかみ)池田政代さんは、遊郭(ゆうかく)の女主人から禁酒旅館の女将へと 転身し、池田政代さんと政代さんのほとんどの家族がキリストの信仰へと導かれました。
水沢の人々が、回心した池田政代さんと家族への態度は、想像がつきますね。
斉藤宗次郎は、月に一度池田屋を訪問して、政代さんとその家族に内村鑑三の『聖書之研究』を読んで 聞かせ、励まし続けたそうです。

池田政代さんは、1923年に天に召される前、命の恩人である斉藤宗次郎に 「私が死んだら何があっても先ず走って来て、善き様に始末して下さい」と、死後のことを頼んでいたようです。
そして、斉藤宗次郎は、心を尽くして池田政代さんを天に送りました。
その知らせを聞いた内村鑑三が、斉藤宗次郎に「彼女一人が救われる為に小生の東北伝道があったのだと 思えば大満足であります。」と手紙を出したそうです。

小学校の教師をしていた斉藤宗次郎が、内村艦三の影響を受けてクリスチャンとなり小学校をクビになって、 牛乳配達と新聞配達の仕事をして、キリスト教の宣教をはじめています。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にあるようなことを普通に行っていたため、 「本当はこういう人になりたかった」という思いをこめて、宮沢賢治は「雨ニモマケズ」という詩を 書いたのではないかと言われています。
そして、斉藤宗次郎を通してキリストの信仰を得た旅館の女将・池田政代さんがいるのですね。

内村鑑三や斉藤宗次郎や池田政代さんもイエス様の愛にふれ、イエス様を救い主と受け入れて、 クリスチャンとなりました。
時代は違っても、イエス様の愛は変わりません。
聖書の原則に生きることで、 「本当はこういう人になりたかった」という者になれるのですね。

あなたもイエス様に愛されていますよ。

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