「石井筆子(ふでこ)さん」について

石井筆子さんは、1861年に現在の長崎県大村市で男爵渡辺清氏とゲン夫人の長女として誕生しました。
東京女学校を卒業後、皇后の命で津田梅子さんらと共に日本初の女子海外留学生として渡欧し、 帰国後、1885年津田梅子さんと、華族女学校の教師に招かれました。
生徒の中には、後の大正皇后となられた九条節子様がおられ、筆子さんを最後まで後援されたそうです。

筆子さんは、3ヶ国語を使いこなし、社交界では「鹿鳴館の華」と評判で、 当時のアメリカ大統領グラント将軍来日の際には、将軍から「日本で最も聡明な女性」と言われています。

家庭生活では、旧大村藩士の小鹿島果と結婚し、三人の娘を授かりましたが、 三人とも重い病気を背負って生まれ、次女恵子と三女康子が他界し、 ご主人も35歳の若さで結核により、亡くなられました。

すでに洗礼を受けていた筆子さんは、相次ぐ苦難に襲われましたが、教会活動に傾注し、 1895年には、ミッションスクール「静修女学校」の校長に就任しました。
そして、長女幸子には知的障害があったため、当時、北区滝野川にある知的障害児施設「滝乃川学園」に 預け、学園の支援もするようになり、創設者の石井亮一氏の活動と人間性に深く感銘を受けて、 石井亮一氏と再婚しました。

その後も、資金難・伝染病・滝野川学園の火災等の試練や困難を乗り越え、 石井亮一氏と共に、生涯を捧げました。
 
 
  私は、華やかな世界から一転し、苦難に立ち向かいつつ歩まれた筆子さんが、 いつ、なぜ、クリスチャンになられたのかを想像してみました。
筆子さんは、幼い頃に長崎県の大村で遊んでいた時、クリスチャン達が弾圧され、 血を流しながら連行されて行くのを見て、幼い心を痛めたそうです。
そして、女子海外留学生として渡欧した時に、教会や多くのクリスチャンと出会い 感化されて、この頃にクリスチャンになられたのではないかと思いますが、 ご存知の方がおられたら、お知らせいただけると幸いです。 (連絡先:十条キリスト教会03−3907−7100迄)

なお、第二次世界大戦の敗戦前1944年に昇天した時は、大勢の天使が筆子さんをお迎えに来て、 今は、天国で穏やかにお暮らししているのでしょうね。
また、石井筆子さんが愛用していた「天使のエンブレムが付いた古いピアノ」は、 東京・国立市にある知的障害者の福祉施設「滝乃川学園」の倉庫に、眠っていたそうです。
「一度、拝見出来たらいいな!」と願っています。

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