「波多野鶴吉」について

グンゼ株式会社は、1896年(明治29年)に郡是製糸(ぐんぜせいし)株式会社という社名で設立され、 現在はグンゼ株式会社という社名に変更されています。

波多野鶴吉は京都府何鹿(いかるが)郡発展の礎となるべく、郡の是、つまり郡の方針という意味で 社名を郡是(ぐんぜ)としたそうです。

敬虔なクリスチャンの波多野鶴吉は、聖書:ルカの福音書6章45節の「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、 悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。」を基本としたであろう 「@挨拶をするA履物を揃えるB掃除をする」の『三つの躾(しつけ)』と呼ばれる行動規範を社内に掲げ、 社員にその実践を求めています。

@挨拶の良い人は、社会生活上のルールをわきまえていて、周囲とうまくやっていく術を持っている為、 良い挨拶を心がけることで、自分の中の何かが変わり始めるのだそうです。
A履物を揃えるという行動は、他人の事を思って行動でき、他人の喜びや悲しみを心から理解ができるため、 履物を揃えさせることで、その人の中で何かが変わり始めるのだそうです。
Bお掃除をさせてみて、曖昧(あいまい)な人のお掃除は、その場限りのお掃除で、 仕事もその場かぎりの仕事をしている人が多く、きちんと掃除の出来ることと仕事の仕上がりが見事であることは、 イコールであるとし、社内教育に力を注いだのだそうです。

波多野鶴吉は、丹波(兵庫県)に生まれ、33歳の時に洗礼を受け、「信仰に入ってから、自分は実に幸福です。」と、 聖書を離さずに読みふけり、朝夕祈り続けていたと言われています。

また、貧しさゆえに読み書きや勘定、礼儀等何も分からない女性も多く働いていた為、 社内に信仰教育を取り入れた教育部を設けて、クリスチャンの岩城きぬ 姉妹を女性達の責任者としています。
彼女は多くの女性の悩みを聞き、「一緒に祈りましょう。」と、彼女と共に祈る姿がよく見られ、 母親のように慕われていたそうです。

読み書きがろくに出来ない少年に対しては、波多野鶴吉自身が、毎朝始業前の30分間、個人的に教え、 イエス様の話をし、耳の遠い女性が入社した時には、皆から取り残されていく姿を見て、毎日就業後自宅に招いて、 花子夫人と共に読み書きを教えたそうです。

こうして、夫妻共々多くの人達に慕われつつ尊敬されて、社内にはクリスチャンの数も増え、 会社も大きく発展していったのですね。

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