「諦(アキラ)めること」について

「あきらめる」ということは、必ずしも消極的なことばかりを意味するものではない。ちなみに辞書を引くと、 「諦める」は「あきらむ」の口語で、「あきらむ」は元来「明きらむ」と書き、「明らかに見定める」「心を 明るくする」ことを意味していた。現在、このような原意はほとんど失われている。しかし、この意味は、 現代においてこそ復権されなければならないのではないか。

荒井 献(ササグ)氏は、1982年に奥様を亡くされ、ますますこの感を深くしたそうです。
私も両親や友人、そして可愛がっていた愛犬を亡くした時は、つらく悲しい思いをしましたが、 私がクヨクヨしていては、「周りの人々にも不愉快な思いをさせてしまうし、これからの私自身の生活が 悲しんだ気持ちのままでいいのか?」と考えた時、「これではいけない。『いつも喜び、たえず祈り、すべての ことについて感謝する』ためには、心を明るくし周りを明るすることだ」と気づき、心がけて来ました。
日本人は、「決して諦めないのが男である」とか、「この仇は、必ず果たしてやる」といった浪花節を 好む人種のようです。
@人の意見は、聞いた振りで、絶対に聞き入れずに自分の思いどうりに進める
A自分のためではなく、お国等のためには、これがベストだ!・・・・・
といった都合の良い考え方で物事を進めては、良い結果を得ることはできないし、 イエス様もお喜びにはなりません。
あなたも「諦(アキラ)めること」について、もう一度考えて見ませんか?

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