「 神さまの愛の飢餓 」 について

今から約2850年前のエリシャの時代、イスラエルの北東にアラム(現代:シリヤ)の王ベン・ハダテが、全軍を召集し、 北イスラエル王国のサマリヤの町を包囲しました。

その頃のサマリヤはひどい飢饉で、人々が飢えていました。
ある日、預言者エリシャに神さまから、「あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セア(7.6リットル)が 一シェケル(銀11.4グラム)で、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。」と、預言が与えられました。

さて、町の門の入口に四人のらい病人がいましたが、当時のらい病は伝染病として恐れられていたため、 町の外に住み、食べる物は、家の人か、町の人々が運んで来てくれました。
しかし、飢饉のため、誰も食べる物は、持って来てくれませんでした。

彼らはお互いに、「私たちは死ぬまで、ここでボーとしていなければならないのだろうか。
町に行っても、町は飢饉で食べ物は無く、そこで死ぬ運命になる。
こうなったら、どこで死んでも同じだ。
同じ死ぬんだったら、アラムの陣営に行ってみないか。
もし、運が良ければ、生きられるし、悪ければ死ぬまでだ。」 と四人のらい病人は、 夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端までやって来ると、なんということでしょう。

そこには、誰もいませんでした。
神さまがアラムの軍隊に戦車の音や、馬のいななきの声を聞かせられたので、イスラエルに他の国から、 エジプトやヘテ人の国から支援の軍隊が来たと思い込み、襲われると思った兵士たちは、すべてを捨てて、 命からがら逃げてしまったのです。
そこには食べ物や着物や金や銀が置き去りにされ、馬やロバさえもそのままでした。

四人のらい病人たちは、喜んで、衣服や金銀を持ちだして隠しました。
そして、再び戻って来て、他の天幕からも持ち出して、それを隠しに行き満足すると、ふと我に返り、 「私たちのしていることは良くない。
今日は良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。
もし、明け方まで待っていたら、王の罰を受けるだろう。
さあ、行って王の家に知らせに行こう。」
と言って町へ行き、門衛を呼び、「私たちがアラムの陣営にはいってみると、もう、そこにはだれもおらず、 人の声もありませんでした。
ただ、馬やろばがつながれたままで、天幕もそっくりそのままでした。」と、知らせました。

そして、預言者エリシャに告げられた、神さまのおことばのとおり、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、 大麦二セアが一シェケルで売られ、サマリヤの人々は、食べ物の飢餓は、解決しました。

さて、旧約聖書:アモス書8章11節には、「見よ。その日が来る。
──神である主の御告げ──その日、わたしは、この地にききんを送る。
パンのききんではない。
水に渇くのでもない。
実に、主のことばを聞くことのききんである。」とあります。

ある日突然、御言葉が聞けなくなる日が来るのですから、主の言葉(御言葉)を聞くことのできるうちに、 たくさんの御言葉を聴いておきましょうね。
最大の危機は、主の言葉(御言葉)の飢饉(キキン)ですね。

また、旧約聖書:申命記8章3節には、「人はパンだけで生きるのではない、 人は主の口から出るすべてのもので生きる。」

&新約聖書:マタイの福音書4章4節にも「人はパンだけで生きるのではなく、 神の口から出る一つ一つのことばによる。」とあります。

私たち人間は、食べ物、衣服、そして、名誉や富(お金)等があれば、満足すると思っている方も、 居られると思いますが、そうではありませんよね。

『もっと・もっと・もっと』と言う声が、内側から聞こえて来て、もっと何かを探し求めても、決してパンだけでは、 満足できないのが、人間の本能です。

しかし、神さまは人間を、真実の平安を得、魂や霊の部分が満足するように創造し、 神さまの愛に飢えるように造って下さいました。

私たち現代人の飢饉は、食べ物ではなくて、『神さまの愛の飢饉』ですね。

私たちは、主(イエス様)に愛されているのですから、いつも感謝して、歩んでまいりましょう。

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