【題意】
忠臣、菊池武時公を賦した。
【詩意】
暗く怪しい空気が宮中に満ち溢れている
日本の西方、肥後で勇躍君国の為に立ち上がった忠臣こそ菊池武時公である
櫛田神社では、鏑矢で蛇の物の怪を倒した
袖ヶ浦で詠った和歌は鬼神さえも涙させた
その子武重は父の教え通り、小さな郷里を守り、頑張った
武時公たち菊池一門は自分の身を忘れて天下の御為に尽くしたのである
後世の人々は、勤皇の地でいつまでも一門を祀り弔う
十八の城があったというこの辺りに来ると、菊池一族の忠義を思い、涙があふれるのだ
【語釈】
紫宸=天皇の宮殿。 西陲=西のほとり。ここでは九州肥後。
【櫛田の鳴鏑】
武時一行が櫛田神社の前まで来ると突然馬が動かなくなった。
武時は「神といえど大義の戦を止めることはできぬ。」と言い、社殿の扉へ矢を放った。
すると馬は呪縛が解けた様に再び進みだし、矢の傍には一匹の蛇の死骸があったという。
【袖ヶ浦の題歌】
鎮西探題攻めで守勢にたった武時は、覚悟を決め嫡子次郎武重を呼んで、肥後に帰るよう
命じる。武重は館に討ち入ることを頼むが、武時は故郷へ戻り態勢を立て直し再び挙兵する
よう後事を託した。
その際、武時は直垂の袖を切り「故郷に今宵ばかりの命とも 知らでや人のわれを待つらん」
という歌をしたため、母に与えよ、と命じ武重に持たせて菊池に帰した。
「袖ヶ浦の別れ」といわれ、菊池武時親子の悲しい別れを今日に伝えている。
楠公父子の櫻井の駅の別れの3年前の事であった。
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