現在の千葉県館山市に万石騒動という一揆の歴史があります。
北条藩の領主屋代越中守は、安房郡に1万石の領地がありました。現在の館山市市、南房総市三芳地区・丸山地区です。1711年(正徳元年)、ここで一揆が起こりました。1万石の村が参加したので万石騒動と呼ばれます。
その首謀者とされ処刑された3人は三義民と呼ばれます。
先日、ゴエムのじいさんから本のコピーをもらいました。表紙には「安房三義民」と筆で書いてあります。
奥付は、
昭和3年8月20日印刷
昭和3年8月25日発行
編纂兼発行所 千葉県安房郡教育会
代表者 石崎常夫
印刷所 安房郡北条町北条1060番地 株式会社集賛社
印刷人 安房郡北条町北条1060番地 渡邊徳太郎
表紙をめくると
照後世
伯爵通房
としたためてあります。
伯爵通房というのは、鎌倉中期に創設された万里小路家27代通房伯爵のことです。戊辰戦争に功があり、賞典禄100石下賜されています。NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム「北条地区年表(概要)」 によりますと、明治23年東京から北条町字新塩場に移住。間もなく貴族院議員になり、その在任中に7日間だけ北条町長を勤めています。
次のページには北条町長須賀鈴木写真店撮影寄贈「三義民の墓」「三義民殉難之跡碑」の写真
続いて「緒言」。以下、漢字の一部を置き換えたり、ひらがなにしたり、旧かなづかいを改めたり、段落変えをしてあります。
本年11月10日、天皇陛下には京都において御即位の大典を挙げさせ給うこととなり、国家のため誠に慶賀おくあたわざるところであります。われら国民は赤誠を披瀝して、その盛儀の滞りなく済ませたまわんことを祈るとともに、豊作の天壌とともにきわまりなくいやさかに栄えまさんことを、衷心より願う次第であります。
この御盛儀を迎えるにあたり、本会はいかにして奉祝の至誠を致し、国家的精華を永久に伝えて、これを記念せんか、これ最も慎重なる考究と、深甚なる熟慮とをなしたのであります。
由来愛国の精神は愛郷の精神に基づく○か。愛郷の精神はその郷土における山川風物に親しみ、古往今来変○の跡を究むるをもって、最も肝要なるものと認むるのであります。よってその一端として、安房より出でて世界的偉人となりし日蓮上人伝および犠牲的精神に燃ゆる安房三義民伝を編纂発行して、ひろくその繙読を推奨し、もって国民精神修養の資料に供し、7千万の国民あげて尽忠報国の誠を致し、昭和の時代をして燦爛たる光輝を放たしめんことに微力を尽くすべき計画をたてたのであります。
編纂委員諸氏はこの方針によりて編纂に従事し、爾後数か月、材料の収集および取捨選択等に尽力して、ここにその発行を見るにいたりました。
終わりにのぞみ編纂委員諸氏の多大の労苦に感謝すると共に、材料を提供せられたる寺院並びに有志者に対し、感謝の意を表するしだいであります。
昭和3年8月1日
安房郡教育会長 石崎常夫
房総の義民を言うものは、まず第一に佐倉宗五郎を説く。佐倉宗五郎は実に房総人の誇りである。彼の犠牲的精神は、広壮なる精霊となって今なおその名が伝わっている。しかし彼は戯的人物であって、その物語は実に小説的である。
さてわが万石騒動は、史料が豊富精密であるにもかかわらず、世の人の多くはこれを知っていない。わが房州人の中にも知らない人の多いのは誠に残念なことである。
ああ国に愛国の烈士なければその国は衰え、郷に侠勇愛郷の義民なければその郷は必ずや萎痺する。正義愛国の士は一国の宝であり、愛郷の民は一郷の光である。一国一郷にこの種の烈士義民があってはじめてその国は盛んになり、その郷は長く慶幸をたもつことができる。侠勇愛民の士は実に国家の柱石基礎である。古来侠勇愛郷の義民の出たることもっとも多く、かつその義民の行動成績の特に後世に伝うべきものの多いことは、思うにわが房総地方のごときは天下に稀である。
1,069石3斗5升8合 北條村
内8石3斗8升5合 塩場
196石3斗9升3合 新宿村
17石6斗9升7合 新町
95石5斗3升2合 長渚出作
246石6斗5升6合 湊村
313石1斗4升8合 高井村
189石8斗2升9合 上野原村
148石9斗4升3合 古川新田
348石5斗1升1合 安布里村
76石1斗7升3合 同出作
44石9斗1升 大網出作
666石8斗8合 山本村
244石9斗1升5合 国分村
93石8斗3升3合 北條内 同出作
95石7斗8升7合 萱野内 同上
73石9斗5升9合 高井内 同上
83石1斗3升1合 大作村
70石3斗1升1合 瀧川村
278石8斗6升 腰越村
415石9斗3升1合 広瀬村
384石5斗3升 江田村
388石5斗4升5合 中村
569石9斗5升8合 御庄村
713石3斗2升8合 竹原村
536石1斗7合 加茂村
473石7斗8升1合 大井村
105石4斗2升2合 水玉村
315石1斗8升7合 薗村
449石5斗3升6合 安東村
215石7斗3升9合 北片岡村
170石6斗3升3合 南片岡村
202石6斗7升5合 宝貝村
222石5斗6升7合 二子村
98石7升7合 加戸村
274石2斗3升4合 稲村
25石5斗1升1合 長渚村
102石9斗6升5合 同塩場
50石7斗6升7合 新井塩場
6石 北下台
合 10,035石4斗7升3
右の内
4,150石8斗2升6合 下郷
5,884石6斗4升7合 上郷
右のとおり10,035石4斗7升3合を大数にて万石村と唱えたところにより、このたびの騒動を世に万石騒動と言ったのである。またこの村々の筆数は。40あるも下文に27か村というのは、名主の支配が27か村にわかれていた故である。