寛政12年(1800)に社殿を再建した際の「棟札写」によると、勧請年は不明だが嘉吉3年(1443)以降、5回の再建があったという。
日鷲命は伊那谷には例を見ない祭神で、阿波の斎部(いんべ)氏の祖神である。江戸時代には結城大明神と呼ばれていたが、明治以降は日鷲命と改められた。
本殿は覆屋の中に2棟並んでおり、向かって右が八幡神、左が日鷲命である。
境内下段には、安政5年(1858)建造の大きな回り舞台があるが、現在は使われていない。明治時代には学校校舎として使用された。ちょうど建物の裏手が県道に面していて、車で通りかかると白い壁がよく目立つ。
回り舞台の前は平らで、現在ゲートボール場として使われるようだが、年輩の方の話によると、以前は地芝居を見るためにせり上がった斜面になっていたそうだ。芝草が生えていて、そこに居て観るから「芝居」と言う。
『村芝居 回り舞台に 花が飛び』
という、「阿智村かるた」収録の情景が目に浮かぶ。
この頃、地元の気運が高まり、秋祭りには花火の奉納が行われるという。境内はどんな賑わいに包まれるのだろうか。
地元の方のお話によると、消防団の青年を中心に手作りの手筒花火の奉納(免許あり)があったり、大三国(こちらは本職の花火屋さん)やらスターマインもあって賑やかで、出店も出ている。子供の時の楽しいお祭りの思い出を子供たちにも受け継いで行こうという熱い思いを、自治体がバックアップしていく形を取っている。10月10日前後だという。
( → は、参考文献等 )
→ 『阿智村誌』 p.724
→ 『愛郷探史録』第3章 阿智の神々
栗矢の産土神由来 p.121
→ さんまのメモ書き
天太玉命と天日鷲命
栗矢八幡社参道入口
拝殿正面:玉垣、石垣が整備されている
栗矢の回り舞台:学校としても使われた