<御詠歌>
野をもすぎ里をも越えてくりや堂
思ひ入るさの月ぞさやけき
光明院は栗矢村の
千葉家ゆかりの村庵で、同家の娘が元文年間(1736〜1740)ころ、剃髪して住んでいた記録がある。
当時の本尊は
聖観世音菩薩であったが、文政4年(1821)に同村の
井原九右衛門重隠(しげやす)が、
阿弥陀如来座像を寄進して本尊とした(写真下)。
後年、当院は荒廃し、仏像等は同村の
薬師堂に納められていたが、昭和56年(1981)10月薬師堂と合わせて再建された(写真上)。場所は、
栗矢八幡社の境内左手から裏手の山へ10mほど上がった所である。
境内には
三十三観音石仏がある(写真中の後列)。これは、下条から栗矢に向かう道沿いにあったのを明治以降に1カ所に集めたのだろう。
ただし、33体のうち30体しかなく、17、23、26、33番は欠番である。このうち23番は、栗矢の
清明堂内に安置されており、保存状態も良い。2体は番号が一部欠けているが、12、18番と思われる。また、6番が2体あったように見えたが、26番かもしれない。
せめて番号順に並べれば良いように思うが、順序はバラバラである。また、左端は番号のない文政十年の石仏である。
他に念仏供養塔や庚申塔、名号石、地蔵などの石仏があり、境内は賑やかである。
(参考)→『阿智村誌』下巻 p.780