<御詠歌>
つつしみもあれば利生は常念寺
十一面の誓ひたのもし
蓮門精舎旧詞によると、当初は観音堂であったが、
寛文4年(1664)に初めて常念寺という寺号を用いるようになった。
その時の開山は、
覚誉観的和尚であるが、終生を常念寺で過ごした訳ではなく、寂年等は不明であるという。
嘉永4年(1851)刊行の
下伊奈郡案内道中記によると、本尊は
薬師如来、当札所の観音様は
十一面観世音としている。
安置されている仏像は、薬師如来2体、十一面観世音2体、不動明王石像1体、金銅像(孔子像か?)1体、三十三観音像等と数が多い。同じ小野川村にあった伊那秩父第9番札所観楽寺の仏像が、常念寺の仏像と同居しているらしい。
木造漆箔の十一面観世音1体は
入母屋造りの宮殿内にあるが、他は簡素な厨子に納められている。もう1体の十一面観世音は
異形の石仏であるという。
尚、常念寺は現在の智里東保育園(旧小野川小学校)の敷地にあったが、明治36年(1903)に小学校の校地拡張に伴い道路を挟んだ現在地に移転した。
現在無住の堂内は、床が抜けるなどかなり傷んでいると聞く。文化財として仏像の管理が急がれると思う。
尚、
明和4年(1767)在銘の喚鐘が戦時供出を免れて、阿智第3小学校(旧智里東小学校)に保管されている。
(2004.5.30 撮影)
(参考)
→ 『阿智村誌』 下巻 p.781
→ 『探史の足あと』
p.65 廃寺の秘仏
→ 『愛郷探史録』
p.222 小野川八十戸の寺がえ