<御詠歌>
ひとふしに千代をこめたる射矢堂
仏をたのむ身こそ安けれ
御詠歌の字数から見て、「
いりやどう」と読むのだろうが、語源はおろか所在地も明白でない。『
下伊奈郡案内道中記』に、
秩父第五番聖(観世音)
嘉永ニ御ドウ爰(ここ)ニタツ
同村(向関村)巳午(南南東向き)
とあり、更に宗円寺から4丁、松栄堂から1丁と記されている。
これらから推測して、射矢堂は字
高越にあった
薬師堂に併設されていたと考えられる。
薬師堂は無住無壇だったため、明治6年(1873)に宗円寺から廃堂の届が出ている。堂は6間×3間という大きなもので、南面した建物は
地芝居小屋としても使われ、道を隔てた芝生(写真手前側)が見物席だったという。
跡地の西側に個人の墓地があるが、その中に数基の無縫塔や五輪塔の空風・地輪等の残欠がある。五輪塔の水輪1個は少し南に下った
上郷集会所の石灯籠の火袋代わりに使われている。
(参考)→『阿智村誌』 下巻 p.790