兎柳の自画賛

 江戸後期、中関村に宮崎兎柳という俳人がいました。村の大地主で旧家宮崎家の当主として左兵衛を名乗り、天明4年以後名主役を数年勤めています。
 兎柳は享保20年(1735)卯(う)年生まれで、自宅の庭に老松と柳の大木があったので松寿庵兎柳と号したといわれています。
 兎柳が俳句に親しんだのは、現存する句集でみますと天明2年(1782)から文化元年(1804)までの24年間、47歳から69歳までで、文化2年70歳で没しています。

 図は寛政9年から享和4年の作句帖にあるもので、「自画賛」とありますから自分の姿を描いたものでしょう。句は

   その声を便りに蒔や鶯菜

とあります。
 この絵に添えた詩歌や句のことを「賛」というようです。俳句が絵の説明になったのはどうかと思いますが、これが当時の風流だったのでしょう。  (H8・11)

 → 『足あと』 9章 「俳人宮崎兎柳の署名

 → 『愛郷探史録』 p.590
   第十章 詩歌今むかし  「宮崎兎柳と月岡連」
  

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