火薬調剤免許の定め

 江戸後期の天保・弘化のころ、寺尾に公認の火薬製造所がありました。家号は「しもだ」または「えんしょうや」、当時の免許人は直作といい、伜も直作を襲名して二代にわたって火薬の調剤販売をしたことがわかっています。(園原重信氏文書)

 下の文書はその免許状のようなものですが、横巾が全紙ほどもある大きなもので、現在は軸装になっています。  焔硝・鉄砲薬の定価を示し、幕府の指図などを堅く守るように。値段を定めたから念を入れて調剤し、粗悪品や隠し売りなどしてはならぬ、と注意書きがしてあり、御焔硝方(取締・認可者)は泉州堺の住人、出張所は小県郡とあります。 (S57・3)

 → 阿智の産土神 より 「秋葉社

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