道祖神といえば、松本平や安曇野にある、男女の像を刻んだ「双体道祖神」が有名です。伊那谷でも伊賀良上殿岡の「お役者道祖神」は秀作で世に知られ、山本や三穂・下条等周辺の地区にも何体かあるのに、阿智村には現在一体もありません。かつて浄久寺の参道入口にあった「道六神」は、バイパス工事の折に何者かに持ち去られてしまったようです。
上の写真は東栗矢の法力様の入口にある道祖神の文字碑で、石の高さが106p、幅82p、厚さ23pという大きさ、筆者は不明ですが雄渾な文字、これに高さ22pの台石がつき、さらに幅奥行各180p、高さ85pという石積みの基壇の上に据えられた堂々たる構造で、その規模では近郷にも類がないと思われます。
碑の裏面には「弘化四年(1847)八月吉日」と建立年を記し、「井原倉吉、井原惣右衛門、井原[?]」という発起人3名の刻字のあとに、やや大きく「村中」と彫られています。栗矢村を守る塞の神だったのです。 (H4・2)
(参考) さんまのメモ書き
「札所一覧」より 清明堂
「阿智の産土神」より 法力社