智里中平の無量寺は、古代東山道の信濃坂(神坂峠と網掛峠とを一括した山地)の入口に位置し、古い寺歴をもつと思われますがその史料もなく、わずかに伝承として、大垣外家の上の諏訪明神社の上方200mに古寺があり、火災にあって小野川の関所跡の下に移転したといわれます。
阿智村誌編集の寺堂調査のため、昭和57年8月地元の熊谷恒夫さんの御案内で中平集落センターの中に安置されている仏像や什器を拝見したとき、この古い仏頭に対面し一瞬その優雅な顔立ちに心を打たれました。
すでに胴体はこの仏頭と組み合わないほども損傷し、両手は肩から失われ、両足も残っていませんでした。たぶん観世音菩薩像と思われますが、傷ましいだけに崇高です。長年の香煙のせいでしょうか、閉じられた眼の線にはうっすらとたまった燻が、黒い涙のように見えました。 (H5・8)