「ホツマツタヱ(秀真伝)」に関心のある方から、時々阿智村について問い合わせがあります。主に、阿智神社、恵那山、春日神社についてですが、残念ながら特に参考になるような文献や遺物が地元にないため、お話をお聞きするだけで終わってしまいます。
さて、ホツマツタヱは「ヲシテ(ホツマ文字)」と呼ばれる文字で書かれています。「ヲシテ」は漢字伝来前の日本固有の古代文字であり、「ヲシテ」で書かれたホツマツタヱは古事記や日本書紀よりも古い時代の成立であるともいわれます。
一方、江戸時代の平田篤胤著「神字日文伝(カンナヒフミノツタヘ)」を始めとする古代文字の研究によると、「ヲシテ」は後代の創作だという評価がされており、昭和41年(1966)に松本善之助氏が秀真伝40アヤを再発見して解読を進めたものの、学会からは相手にされなかったそうです。松本氏は平成15年(2003)に亡くなりました。最近、古代文字やホツマツタヱに目を向ける人が増えてきたようで、出版物やHPもいろいろあります。
私も、『秘められた日本古代史 ホツマツタヘ(松本善之助/毎日新聞社)』や、公開されているHPに目を通したみましたが、1アヤ(第1章に当たる)にアチヒコという斎名(いみな)の神様が登場し、その讃え名がオモヒカネだというので驚きました。その部分の要約を紹介します。
父イサナキノ神、母イサナミノ神からアマテル神の姉として生まれた「ヒルコ」は、3歳の時船に乗せて捨てられたが、カナサキノ神(スミヨシノ神)に拾われて「ワカ姫」として大事に育てられた。成長した「ワカ姫」はアマテル神の使いで訪れた「アチヒコ」を見初め、恋しくてたまらず(オモヒカネて)付け文の恋歌を送った。
キシイ(紀州)こそ 妻を身際(みぎわ)に 琴の音(ね)の
床(とこ)に我君(わぎみ)を 待つぞ恋(こい)しき
ハシカケ(仲人)なしで結ばれる訳にも行かないし返歌しようにもできず、「アチヒコ」は返事を保留してカナサキノ神に相談した。すると、この歌は廻り歌(上から詠んでも下から詠んでも同じ歌)で、もらった以上は替えごとならぬ(結婚するよりない)と言う。アマテル神からも「カナサキノ神の舟を借りて紀州へ行き、夫婦になりなさい」と詔があり、アメノヤスカワべで晴れて夫婦になった。この時から、「ワカ姫」は「シタテル姫」と呼ばれるようになった。(後に、シタテル姫はタジカラオ(手力男命)を産んだという。)
因みに、住吉三神は神坂神社にも祀られており、由緒不明です。
( 文責 さんま。 →は参考文献等 )
→ 『秘められた日本古代史 ホツマツタへ』 (松本善之助/毎日新聞社)
→ 『実在した かみよのもじ』(櫻井重利/自費出版)
→ ヲシテ文献(ホツマ)の世界へようこそ _ 池田 満の案内
→ ホツマツタエ(日本翻訳センター)