江戸文化歴史検定
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中学生のころから時代劇やチャンバラ小説が好きで、段々歌舞伎や落語にも通うようになって、
大学時代には日本舞踊を習ったり、チョビッとですけど三味線を習ったり、
つまり江戸趣味だった院長が、
初めての江戸文化歴史検定が行われると聞いて発奮。3級と2級の試験にチャレンジしました。

2006.11.3  青山学院大にて
ここ2ヶ月で読んだ本
大江戸見聞録
お江戸でござる
ぶらり江戸学
江戸城物語
江戸よいとこ
江戸の道楽
江戸を歩く      
古典落語これが名演だ
さらに読んでます
一日江戸人
江戸アルキ帖
江戸っ子と助六
江戸人物科学誌
挑戦の歴史
平成18年(2006)2級・3級
平成19年(2007)1級 ×
平成20年(2008)1級今年のテーマは「江戸城と大奥」 ×
平成21年(2009)1級今年のテーマは「江戸の旅・東海道五十三次 ×
平成22年(2010)1級今年のテーマは「幕末」 ×
平成23年(2011)1級今年のテーマは「江戸の名所」
平成24年(2012)1級今年のテーマは「徳川15代将軍」
平成25年(2013)1級今年のテーマは「忠臣蔵」
平成26年(2014)1級今年のテーマは「江戸の食文化」
平成27年(2015)1級 今年のテーマは「江戸の祭礼と歳事」
勉強のため?というより楽しみで行く博物館・美術館・江戸散歩
皇居見学:皇居西の丸と東御苑
神田周辺:江戸検主催
「江戸時代を旅してみよう」:太田記念美術館
「旗本御家人」:国立公文書館
「龍馬伝」展:江戸東京博物館
江戸の名所→独立ページ
写楽展:上野国立博物館平成館
「太田南畝と江戸のまち」:新宿歴史資料館
鶴ヶ岡城址と庄内藩の藩校致道館
フェリーチェ・ベアト写真展:東京都写真美術館
「江戸の判じ絵」展:タバコと塩の博物館
「浮世絵の中の忠臣蔵」展:江戸東京博物館
「江戸の芝居小屋」展:サントリー美術館
「江戸人」展:上野科学博物館
「江戸絵画の奇跡」:江戸東京博物館
会津鶴ヶ城・善龍寺・武家屋敷・飯盛山
両国散歩・義士の潜伏先と吉良邸
江戸・将軍菓子づくし十五代
「江戸の名奉行」ゆかりの地を行く
「大浮世絵展」と「東海道五十三次」
「江戸の食文化」展
古河の殿様と鷹見泉石
初午:豊川稲荷・三河神社・王子稲荷
神田明神資料館
増上寺宝物展示室
新発田城
江戸東京博物館と「花燃ゆ」展
「画鬼河鍋暁斎」展
歌川国芳展
平河天満宮開帳奉納附
東洋文庫ミュージアム「幕末展」
「馬琴と月岑」
「肉筆浮世絵〜美の競艶」
ホームヘ
http://.shopro.co.jp/  皆さんもいかが?
2006(H.18)
わーい!合格です。
認定証と認定バッジが
届きました。(H.18.12月)
来年は1級に挑戦します!
2007(H.19)1級挑戦
2007年11月4日の 1級受験のために読んでいる本をご紹介します
江戸博覧強記・ビジュアルNIPPON江戸時代・彩色江戸物売図絵
見取り図で読み解く江戸の暮らし・脳を鍛える書き込み式大江戸地図ドリル
大江戸庶民いろいろ事情・学校では習わない江戸時代・JTB大江戸めぐり
面白いほどよく判る江戸時代・検定にもバッチリ江戸文化歴史クイズ
江戸学事典・江戸の町・浮世絵に見る江戸名所・遊歴雑記
覚え切れません。最近やや苦痛です(・_・;)。一級は無理っぽいんです……
一級は 玉 砕!
1級を受けたんですが、難しいの何の!来年のためにと思い、
試験の後の「おさらい講座」受講しにいったのですが……  
どうも1級は私には無理かと思い始めています。(_ _);
(2007.11.4)
合格データが発表されましたけど、
1級受験者1005名で、合格者は2名(!)だそうです。
合格ラインは80点。最高点が80点……てことは
問題が難解すぎやしませんかしら?
ま、不合格のお仲間が1003人もいると知って
ちょっと立ち直りました。
(平成20年1月)
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2008年二度目の一級挑戦へ
皇居見学
2008年の検定から、試験問題にテーマが設けられます。今年は「江戸城」なので、イメージをつかむために皇居見学に出かけました。
最初に窓明館で皇居の建物について説明を受けてから見学します。見学対象は旧西の丸にある建物です。
富士見櫓↑
↑富士見櫓 伏見櫓↓
宮内庁↑
宮殿東車寄せ↓ 二重橋と伏見櫓↑ 
宮殿↓
東車寄せの階段は内閣発足のときに大臣が並んで写真を取る場所。
右の写真は一般参賀が行われる宮殿前の広場です。
皇居東御苑
東御苑は特に申し込みをしなくても無料で入園できます。
←大名気分で  
大手門から
登城します。
大手門の櫓門に
あったと言う
しゃちほこ→
百人番所は江戸城を守る
衛士たちの詰所
中雀門から入り、本丸跡(中央)へ。その昔大きな御殿があった筈が
今は広い芝生のみ。松の廊下跡には石碑がありました。
明暦の大火の後、天守台は作られたものの、天守が立つことはありませんでした 北桔橋(きたはねはし)門から北の丸方面を望む。やはりお濠と石垣はお城の象徴です 二の丸庭園は最初将軍の
遊興のための別邸でした。
今も、くつろぎの場所です。
あ、当った〜!
江戸文検のホームページにあった、「浮世絵パズルクイズ」に
応募したら、「ボストン美術館浮世絵名品展」オリジナルグッズが
当たりました。ばんざい!
でも1級の試験勉強のほうはなかなか進みませんねえ。
 今年も一級受験は不合格が自己採点で確実に!
( _ _ );
2008.11.3
今年の試験会場は
専修大学神田校舎。
2008.11.3
今年は試験の後、神田周辺をボランティアさんの案内で歩き,、その後、食事をしながら答え合わせをする企画に参加しました。一級受験のお仲間といろんな話をして、楽しい時間を過ごしました。
集合場所神保町の小学館ビルから歩いてすぐのところに、一ツ橋、学士会館、そして試験にも出た平川門があります。ココからも東御苑に入れます。
神保町の古本屋街は「神田古本まつり」で大賑わい 江戸時代鎌倉河岸にあって、立ち飲み屋として有名だった豊島屋 御茶ノ水小学校(旧錦華小学校)には夏目漱石の碑が。
 この一年「江戸」に関係ない本は「ハリーポッター」と、写真集の「世界のスピリチュアル・スポット」しか読みませんでしたのに…
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さて!2009年も1級に挑戦です
今年の「お題」は
「東海道五十三次と江戸の旅」


弥次さん喜多さんも
苦労しながら読みました。
広重の53次の絵
全部覚えました 
原宿の大田記念美術館に行きました
江戸時代を旅してみよう」というテーマだったので
地下は日本てぬぐい専門店です。
看板の字、
「へのぬ」ってかいてあるみたいでしょ?
これは「鎌の絵」と、「輪」と「ぬ」で
「かまわぬ」と読みます。
江戸楽セミナーを受講しました。
「幕末を生き抜いてきた歌舞伎役者・作家・絵師たち」というテーマで、学芸大学名誉教授の小池正胤先生のご講演でした。邦枝完二の貴重な資料を見せていただきました。
名門の出ではなかったが名優の名を得ていた尾上松助、ご存知謎の絵師東洲斎写楽、そしてこの二人を題材にした小説を書いた邦枝完二についての講演でした。
 3回目の一級挑戦 
やっぱり…今年も玉砕。手も足も出なかった…
1級の試験は午前中。
夕方6時から来年のお題と
関連した映画の
シークレット上映があり、
時間つぶしに苦労しました。
どんな問題か、 ご紹介します。

問い6
「東海道中膝栗毛」で主人公の弥次・喜多はさまざまな失敗を繰り返します。次の狂歌は、弥次郎兵衛が三島宿である災難に遭遇した時に、喜多八が慰めて詠んだものです。
「うき沈みある世は次第ふどう尊 いのれるかひもなき(   )」
( )に入る災難を表す言葉は次のどれでしょう?

い)大やけど  ろ)護摩の灰  は)女郎蜘蛛  に)からの風呂

問い45
町奉行所はさまざまな掛りを設けて都市江戸の行政・治安・裁判を担っていました。では次のうち町奉行所になかった掛はどれでしょう?

い)公儀普請の橋を管理する定橋掛
ろ)将軍墓所を警備する御墓所見廻り
は)札差などを監督する猿屋町会所見廻り
に)回収した銅を鋳直す作業を管理する古銅吹所見廻り
問い6 の答えはろ)の護摩の灰。ヤマをかけて十返舎一九を読んでいった私はこれは正解しました。
問い45 の答えはろ)御墓所見廻り。私は全然分かりませんでした。
こんな問題が90問と、書き問題が10問出題され、80点以上取らなければ一級に合格できません。
来年の「お題」は「幕末」なのだそうです。

シークレットだった映画は勝新太郎主演の「泥棒番付」という時代劇でしたぁ、ちゃん、ちゃん! 
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気を取り直して2010年、4度目の挑戦に向かってスタート!
江戸楽アカデミー受講
2月14日、午前中は東京公文書資料編纂のお仕事をなさっている、
立正大講師の高尾先生。
「知られざる黒船大騒動」という、大変面白い講義でした。
生麦事件のあと、イギリスと戦になるかもしれない江戸は
家財道具を始末して逃げ出す金持ちやら、年寄り女子供を田舎の親戚に預ける人やら
それに便乗して大もうけする運送関係者やら不動産ブローカーやらで
大騒動だったそうです。
資料のかわら版や見立て番付を紹介していただきました。
終了後、「お写真を」とおねだりしたら、一緒に写真を撮ってくださいました。
午後は「幕末における江戸庶民の娯楽」というテーマで成城大学の小沢先生のお話。
上品な銀ねずのお着物がよくお似合いの美人先生です。
写真を撮らせていただきました。
江戸楽アカデミー受講その2
すっかり味を占めた私は2月28日も、
高尾先生のセミナーに参加。
今日の講演のタイトルは「幕末のアウトロー群像」
関東一帯、上野国や多摩周辺で博徒渡世が成り立ったのは江戸中期以降の貨幣経済がもたらしたもの。
小金井の小次郎、小川の幸蔵なんて初めて聞く名前の博徒さんたち。
現代に続くエピソードまで交えて興味深いお話でした。
でも、実はこの講演の裏テーマは正義、善悪概念の脆弱性なんだとか。うーん、そう言われてみれば…
この方は、この前の江戸楽セミナーで隣席だったご縁で色々お話させていただいた菊地さんとおっしゃる方。
準一級をお持ちで、とてもよく勉強されているんです。
それもそのはず、京都検定一級もお持ちなんです。
何しろ博識で、すごい人脈をお持ちで、お話の面白い方。
草津からわざわざセミナーに参加されています。
「一緒に一級を目指しましょう」と言ってくださるのですが、どう考えても一緒はムリ。
江戸楽アカデミー春季最後の受講 
   3月21日、お彼岸の中日だったので
午前中お墓参りをして、午後はセミナー。
タイトルは「幕末の政情」
講師は、高尾先生の師匠でもある立正大学の高木俊輔教授
「あと数日で定年ですのでこの肩書きでは最後の講義」だったのだそうです。
 
 国立公文書館春の特別展
「旗本御家人U・幕臣たちの実像」という展示を見に行きました。
旗本の日記や、幕府への届け・願いの書類から、「人生の節目」「異才の幕臣たち」「幕末から明治へ」というテーマに沿って、いろいろな文書が展示されていました。
丁寧な解説(これが無きゃ何が何だかわからない)と音声ガイダンスで、大変面白かったです。昨年「旗本御家人T」があったのを知らず、とても損した気分です。
ここは紀伊国坂 お勧めです、4月22日まで。 清水門 桜の田安門
帰りは北の丸公園を歩いて終わりかけの桜を見ながら九段下へ。
いやあ、充実した半日でした。
 
 
 江戸東京博物館の特別展「龍馬伝」
坂本龍馬縁の品々、例えば龍馬所有の刀剣や、お龍さんにプレゼントした帯止め、そして沢山残されている龍馬やその周辺の人々の書簡や所持品や写真の展示。音声ガイドは岩崎弥太郎(香川照之)が案内役となって、楽しい説明。
龍馬が暗殺された近江屋の部屋を掛け軸や屏風も実物大で再現されているなど、面白かったです。
思ったより空いていました NHK「龍馬伝」のメイキング ストラップとマグネット買っちゃった
実は院長、小学校6年生のときにテレビドラマの「幕末」(司馬遼太郎原作)に夢中になり
中学、高校を通して大の龍馬ファンで、定期入れに坂本龍馬の写真を入れて持ち歩いていました。
このドラマで龍馬を演じたのは田村高広。桂小五郎が御木本伸介で…他は記憶がありませんが。
 
 秋季江戸楽アカデミー
日曜日
築地の
魚市場は
お休みです
江戸検の勉強が
全く進まない中
暇を見つけてセミナーに。
今回は築地の会場で
8.29は江戸の食文化
9.5は北斎と広重の話
小池正胤先生
チェコの客員教授を
なさっていた時のお話も。
欧州には随分浮世絵が
流出しているんですね
青いシートが
かかっているのは
改築中の歌舞伎座
手前はハトバスです
10月3日の江戸楽アカデミーは
成城大学民俗学研究所の中村洋子先生の
「江戸の稲荷信仰」という講義。
江戸小噺が専攻の中村先生のお話は
ものすごく面白くてわかりやすくて
私、ファンになっちゃいました。
10月17日は中村先生と同じ
成城大学民俗学研究所の
山崎久登先生
民俗学と歴史学の違いは
伝承を基にするか、文献を基にするか、です
一般人の生活は、伝承でないと
残っていないこともあるわけです。
でも今日は文献に基いた
江戸と周辺の村々の生活の講義でした。
<また玉砕です ( _ _ ); 
…今年は明らかに勉強不足でしたから…
今年の試験場も
明治大学でしたが
何だか終わったとたんに
家のことが気になって
ぼんやりしちゃって…
私としたことが
写真を撮リ損ねました。
で、頂いたお土産の写真を。
いつもは江戸城の古地図とか、
広重の東海道五十三次とかなんですが
今年は割り箸が入っていました。
そういえば小学館の方から
「今年は考えましたよ」とお聞きしていましたっけ。
今年の袋は龍馬の顔なのですが
昨年までは写楽の役者絵でした。
最初の2級の時から数えて
もう5回目の受験なのだ。
ま、いいか!来年も勉強を続けます。
性懲りも無くまた挑戦をつづけます。だんだん「目的は合格よりも勉強」になってきそう 
江戸楽アカデミー
去年、稲荷信仰のお話がとても面白かったので是非また聞きたかった中村洋子先生の講座。
今回は「落語で巡る花見空間」
さらに先生の専門に近く、楽しいお話でした。
2月20日は「江戸の火葬と火葬寺
(講師は亀川泰照先生)
上の絵はコレラが流行して
火葬場が順番待ちになったという
幕末の絵。江戸東京博物館にあるそう。
27日は「佃島と白魚漁業」
(講師は出口宏幸先生)

佃島が出来た経緯や由緒って
ちょっと興味深いものがあります
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2011年、挑戦は続く。今年のお題は「江戸の名所」なので、あちらこちらをまわりました。
沢山の写真でこのページが重くなりすぎたので、新ページ
江戸の名所を設けました
江戸の名所めぐりをご案内 
雑司ヶ谷鬼子母神 小石川後楽園 向島散歩 浜離宮と芝離宮  上野公園
(上野東照宮・花園稲荷神社・五條天神)
浅草寺庭園 清澄庭園 深川江戸資料館 富岡八幡宮 王子飛鳥山公園 
駒込から王子 亀戸天満宮 両国回向院と旧安田庭園 堀切菖蒲園 両国・野見宿祢神社
谷中霊園と谷中のお寺 谷中から根津、本郷 六本木と目黒 平河天満宮と市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮 
四谷散歩 品川 小江戸川越 石神井散歩 神田のお稲荷さんと街歩き 
鶴岡城址と致道館 上野公園(高橋由一展) 本所 柴又帝釈天  
泉岳寺と高輪大木戸跡 芝増上寺・青松寺 巣鴨のお地蔵様 船で大江戸散歩  
日枝神社 両国回向院の善光寺出開帳 高安寺・大国魂神社・国府八幡宮 神田散歩  
「写楽」     震災で開催が遅れ、5月1日から始まった、上野の国立博物館平成館の「写楽展」に行きました。
平成館の壁面には高麗蔵と富三郎の梅川忠兵衛が 目録と絵葉書とマグネット購入。目録の表紙は大谷鬼次の江戸兵衛 入り口にも出口にも写楽
左は坂東三津五郎の石井源蔵、
右は坂田半五郎の藤川水右衛門
不忍池にはウミネコがいてボートに乗ったりしています。 不忍池・弁天堂・そしてスカイツリー
この後池之端の旧岩崎邸に行きました。
秋季江戸楽アカデミー
秋季のセミナーはイロイロ忙しいのと、
いくつかの講座は抽選で外れたりしたので
少ないのですが・・・
幸運にも原史彦先生の大変に面白い講習を
聞くことが出来ました。
江戸の名所 大名屋敷」と
「松平氏・徳川氏の系譜」
徳川美術館主任学芸員の原先生のお話は
それはそれは面白く、
午前午後合わせて5時間は
あっという間でした。

そして、やっぱり
高尾先生の講座は
見逃すわけにいきません。
一級・二級受験者向けに
試験対策のセミナーです。
(多分)すごく親身に、
試験にはどんな問題が出るか、
考えてくださってます。
勿論内容もとても興味深いことばかり。
2011.10.30 5度目の一級試験  今年は・・・もしかしたらイケたかも!!!
今年は割合素直な問題が多く
結構答えられました。
勉強もしましたよ。
今までに無く熱心に
テキストを覚えたんです.

何だか興奮して試験場の写真は
撮らずに帰ってしまった。
受験のお仲間は紙袋を
持っているのですぐわかる
橋から見えるJR御茶ノ水駅の
ホームにも受験生の紙袋が。
それがこれです。
江戸検」とかいてある
ブックカバーを頂きました
準一級に合格しました
「準」でも金色
準一級の証明書とバッジが届きました。
自己採点では一級に合格していたのでちょっとがっかり・・・
字の書き間違いがひとつ、
マークシートのつけ間違いがなんと三つも!
そそっかしい私・・・・
(' o ');
でもまあ、去年までよりも1歩前進です。
また頑張りま〜す
来年のお題「徳川15代将軍」の副テキストに
戴いたブックカバーをつけて出陣!→
新宿区立新宿歴史資料館
カタログは中身盛り沢山
でも「禁転載」です。悪しからず
新宿歴史資料館で「太田南畝と江戸のまち」という特別展をやっていたので、出かけました。
旗本の家に生まれた南畝は牛込御徒町に長く住んでいました。
狂詩、狂歌、小説、随筆と多才な南畝。知的好奇心も旺盛、文人達との交遊も多彩で、
今回は南畝の書や本、雑記帳、身の周りの品、南畝の肖像画のほか、洒落好きの仲間達が
集まって「もの合わせ」という地口パーティを再現した展示物もありました。
常設展もなかなか面白かったです。↑は江戸時代の甲州街道沿いの新宿のジオラマ
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落ち込みつつも、今年の合格をめざして勉強再開!
鶴が岡城址と庄内藩の藩校だった致道館に行きました。
鶴岡城跡は今は鶴岡公園になっています
桜と美しいお堀のある、市民の憩いの場に
慶長年間、庄内は酒井忠勝の支配となり、鶴ガ岡城と城下町が整備されました
公園は本丸と二の丸の跡。あちらこちらに門や櫓の跡の石柱があります。
桜はみな終わっていましたが
しだれ桜が一本満開でした
城主のお成りの時に使われた表御門
今は致道館見学の人が入ります
この奥に聖廟があります
湯島の孔子廟とよく似ています
入学式を行ったという講堂
藩政の会議もここで行われました
致道館は徂徠学を教学とし、現在に至ります
左が講堂
右の建物は将軍がお成りの時に使う
「お入りの間」4部屋があります
「致道館」の名前は論語の「君子学んで以てその道を致す」に由来します
等級 現在の学年にすると どんなことをしていたか
句読所
くとうしょ
小学生 4つの学年にわかれていて、先生が論語などの読み方や習字を教えてくれる。
年4回の試験。授業時間は朝8時〜午後2時まで。
句読所の生徒でも、学年が上になると午後4時まで2時間のひとり勉強の時間がある。
終日詰
しゅうじつづめ
中学生 授業はなく1室6〜7名で自主学習。試験は年4回。
四書・五経といわれる本や歴史書、詩文などを学んだ。
朝8時に始まり夕方4時まで。ただし希望者は5時まで自習を続けてもよかった。
外舎
がいしゃ
高校生 1室2名で自主学習。試験は年4回。
歴史書や諸子百家、詩文の本を勉強に使った。
8時から4時まで勉強したあとに武芸のけいこも。
試舎生
ししゃせい
大学生(教養課程) 朝7時から夕方5時まで1人1室で自主学習。
勉強する本は自分で選ぶ。
試験は年1回で、3年たっても思うようにのびないときは退学。
舎生
しゃせい
大学生・大学院生 1室に寝泊まりしての自主学習。
藩の勤めが免除されたうえに食事も与えられた。
朝6時から夜10時まで自分が選んだ専門的な勉強をする。
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春季江戸楽アカデミー
幕末、将軍上洛に
お供した

幕臣達がみた京都は?
右下は照れ屋の
藤田先生
の指です
ユーモアたっぷりのお話は
小林信也先生

「江戸町方の支配機構」。
町名主が記録した町触の資料や
与力同心と目明しの話など
興味深い話ばかり
浦井祥子先生
「江戸の時刻よもやま話」

「とき」と「こく」は別のものです。
江戸時代の時刻は世界でも一正確!
時の鐘についての面白い話もいっぱい
これは川越の
ホテルに
飾ってある
川越の時の鐘の
模型です

今日の浦井先生のお話は
暦と元号について
古代から江戸時代、明治の改暦、
外国の暦、暦のの種類、歴史、
などなど盛り沢山。
早口の浦井先生でも時間が足りません。
幕末の写真家・フェリーチェ・ベアトの写真展「フェリーチェベアトの東洋」に行きました
東京都写真美術館。幕末から明治にかけて日本で活動したフェリーチェ・ベアトの写真展 有名な、江戸の町のパノラマ写真。手前は越後長岡藩中屋敷。展示されていた写真はもっと横長で、左端に有馬家の屋敷、その後方に築地本願寺、右手後方には浜御殿の森も写っていました。
とても雰囲気のある建物です。この先にロバート・キャパらの大きな写真があります 「長弓を持つ男」
ベアトはこのような武士
ばかりでなく、上のような市井の人々も沢山撮影しています
これも有名な箱根の山道の写真。
東は川崎、西は小田原の手前までが外国人に許された移動範囲でした
ベアトの写真師としてのスタートは
クリミア戦争。その後インド、中国、朝鮮などでも従軍して撮影をしています。
上はトルコ、イスタンブールの
スルタンアフメトモスク
ミャンマー(当時のビルマ)のザガイン寺院内、49体の釈迦像
日本でも、寺社や仏像(鎌倉大仏など)を多く撮影しています。
秋季江戸楽アカデミー開始
今年も暑い夏。
江戸楽アカデミーに通います。
(夜はビアホールへ)
今日は小林信也先生の「江戸のグルメ」
江戸の露店に詳しい先生が崩し字の資料などもたっぷり用意して面白い講義をして下さいました
神保町まで来ると、神楽坂に足が向き・・
お寺で見つけたグルメのハチは
今年最後のくちなしで食事中でした
いつまでたっても涼しくなりません。
どうなってるんでしょうか?
勉強がすすまないよう・・(言い訳です)
今年も高尾先生にお世話になります。
聴講生の合格の為に一生懸命考えて下さいます。
今年こそ恩返しできますように。
いつも江戸楽アカデミーが行なわれる
神保町SPビルのすぐそばに
お稲荷さん発見!お参りしました。
江戸の判じ絵展に行ってみました
←「絵」を判じて答えを導き出す「目で見るなぞなぞ」を「判じ絵」「判じ物」といいます。
渋谷の「たばこと塩の博物館」の9/15〜11/4の特別展は、「江戸の判じ絵」展です。
お釜を切って
「かまきり」
絵「飛ばし」に濁点で
「えどばし」
歯と「ねこ」を逆さにして
「はこね」
お茶をたてている蝦蟇
「ちゃがま」
象と金太郎の上半身で
「ぞうきん」
お土産ショップで「変わり絵」を買いました。 
 
あらら顔が狐に! 立ち上がりました
これは享保年間に作られた折り紙絵あそびです。左の絵の上の部分をおり返すと真中の絵になります。
下の部分を折り曲げると右の絵になります。四方の折り方の組み合わせで11通りの絵ができます。
最後の江戸楽アカデミーは・・
先生ゴメン。でも小さくして
コントラストぼかしてあります
10月7日、私としては今期最後の江戸楽セミナー。
講師の藤田先生は「写真カンベン」なので、無人の教室を。
セミナーはすんごく面白かったです。先生大発見のレアな古文書を
いただいちゃいました。まだ論文発表の前みたいなので
何の古文書なのかはナイショ。
2012.10.28 試験日。随分勉強したつもりだったんですが・・・
ここが試験場の明治大学
午後から雨が降りました。
この時間帯は一級受験者だけです 終わって、自己採点で不合格が
確実に・・・。 あ〜あ・・・
試験日の夕方、「お江戸ルほーりー」
こと堀口茉純さんのトークイベントへ。
ほーりーちゃんは最年少で一級合格
を果たした、美人タレントさんです。
そして彼女今年「TOKUFGAWA15」
という本まで書いちゃいました。
サインと握手してもらいました。
可愛かったですよ〜。写真はNGでした
今年のお土産は去年と同じブックカバー
確かにこれが一番使い手がある!
今年も準一級でした・・ (・o・);
今年は合格率がとっても低かったんです。
第一回の2人につぐ、6人合格で、これは0.7%。
(しかも既得者5人で新規合格は1名だったそうです)
合格点80点で平均点が51点ですから。
70点以上で合格となる準一級57人を合わせても7%にしかなりません。
まあ並の勉強ではなかなか・・・。

でも、どんな風に勉強したら良いか、過去の一級合格の方々が、
いろいろアドバイスしてくださるのです。

やみくもに受験していた頃とはちがうので、また頑張ろうと思います。
 
来年の「今年のお題」は「これが本当の『忠臣蔵』〜赤穂事件が物語になるまで」
丁度、江戸東京博物館で企画展「浮世絵の中の忠臣蔵〜江戸っ子が憧れたヒーロー〜」をやっています
江戸時代後期から明治時代のこどもたちに人気だった「組上絵」これは山崎街道かな?
展示されていたのは、東都歳事記の泉岳寺の様子や、国芳の「誠忠義士伝」「誠忠義臣銘々鏡」の四十七士の浮世絵。当時から後の世にいたる、赤穂浪士たちの人気ぶりがわかります。浪士びいきということは幕府批判になるわけですが、庶民の感情まではコントロールできなかったのですね。
久〜しぶりに江戸博の常設展示を見ました(本当はちょいちょい行くべきだと思いますね)
中村座が作られています。正面の舞台(建物の外ですが)では時々からくりの演し物なども行なわれます。 暮です5mはあると思われる大きな熊手が飾られていました 芝居小屋や日本橋のほかにも、実物大の建物が沢山建てられています。長屋の様子をあらわすもの(これは大工さん)、右は絵草紙や浮世絵が飾ってありました。ここにあるものはみな撮影自由です。
江戸東京博物館の象徴、日本橋の欄干。この擬宝珠がついているのは江戸では日本橋、京橋、新橋の三橋。格式のある橋だけなんです。右上は「ギボちゃん」 日枝神社と神田明神のお祭りは将軍様もご覧になった、天下祭。これは神田祭の山車。神田須田町のものです。 あちこちのポスターや冊子で博物館のお知らせをしてくれるのは、この犬張子のイラスト。可愛いので載せときます。 日本橋北詰の日本橋通の賑わいがジオラマになっています。
越後屋などの大店のほか、振り売り、鳥追いの女性なども細かく再現されていて見ていて飽きません

 六本木のサントリー美術館「歌舞伎・江戸の芝居小屋」展に行きました
 
 
   「阿国歌舞伎図屏風」
絢爛豪華な金箔は華やかな桃山時代の風俗を今に伝えます
役者判じ物の浮世絵
役者や花魁など
名前を入れた浮世絵が
禁止されていた時期には
こんな風に判じ絵で
名前の特定をさせて
役者絵を売りました。

年の市の買い物で「市」
羽織の上半分で「川」
階段で「團」
忠臣の上半身に濁点で「十」
蝋燭の上半分で「郎」
「市川團十郎」となります
芝居狂言浮絵。浮絵とは遠近法を使って奥行きを表現した浮世絵です。
鳥居清経画「百夜草鎌倉往来」 宝暦年間
人気役者が舞台衣装に使った柄は巷で大流行しました。
左は歌川国麿の「東都堀名所」ですが、この若い娘は
右の絵の松本幸四郎が着ていた「高麗屋格子」を身につけています。
今年も江戸楽アカデミー 試験に落ちても勉強するのは楽しい
4月7日の江戸楽アカデミーは藤田英昭先生の「忠臣蔵のその後」
赤穂事件に対する扱い方が、幕末の政変や明治政府の方針で変わっていった様子が様々な文献に残されています。


ところで・・
左は幕末の浮世絵。
子供が忠臣蔵芝居の真似をしているのですが、実は江戸城明け渡しの様子を皮肉った判じ絵になっています。
赤穂城受け取りに来ているのは薩摩、長州、土佐などの藩士、「城を出たくない」という瑤泉院は天璋院、大石内蔵助は会津容保、と言う風に見立てられているのが、着物の模様から分かるようになっています。
3月17日の江戸楽アカデミー
高尾善希先生の、苗字・姓・通称・忌み名の話。
へーえ!なるほど!と思うことばかり
いつもながらにとても楽しいお話でした。
この後用事があったので急いで帰りましたけど
江戸人展
徳川将軍家の菩提寺のひとつ、上野寛永寺の霊廟から発掘された骨から復元された、将軍正室や生母の顔。みな公家の出身ですが、吉宗の生母はあまり身分が高い方ではありません。
上野の科学博物館で行われた「江戸人展」。お寺や遺跡から発掘された江戸時代の人骨から当時の人々の生活を探ります 企画展入り口にあった江戸では小さな子供たちが江戸めぐり中
江戸人はどんな顔をしていたのか?頭蓋骨からの復元。関節の状態や骨吸収、骨添加からはその部分の筋肉の使い方がわかりますし、刀キズの残る骨や、罪人の骨なども展示。自らの身体をミイラにする実験をした、本草学者のミイラをMR装置で見せる映像もありました。その他着物、化粧についての展示やベアトの写真などもありました
鉄漿(お歯黒)の主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる茶褐色・悪臭の液体、これに五倍子粉(ふしこ)を混ぜて歯につけます。悪臭を放つのでおかみさんたちは朝、家族が起きる前に鉄漿つけをすると読んだことがあります。臭いを嗅ぐ展示がありましたが、最終日で臭いはとんでいたみたいでわかりませんでした。発掘された既婚女子の歯には「黒い」歯と「茶色の」歯があり、茶色の歯の方からタンニンが検出されるそうです。
このグラフは大江戸で出土した女性頭骨の様々な計測値を主成分分析法で処理した結果です。女性頭骨では横軸の第二主成分は「顔の幅と顔の細さ」を、縦軸の第三主成分は「顔の長さと目や鼻の幅」という特徴を示しています。例えば横軸の得点が小さい「大奥」の人たちは「頭の幅が広く顔が細い」が「町人」は「頭の幅が狭く顔が幅広い」傾向にあることがわかります。ただし、「大奥」の標本が5例しかないので、あくまで「傾向」だと思った方がよいと思います。
入れ歯の展示もありました。左の写真の人にはほとんど歯がなく、右のような入れ歯が副葬されていたそうです。歯の部分は石、床の部分は木製だそうです。昔の入れ歯といえば、柳生宗冬のものが有名ですが、宗冬のものは歯の部分が象牙です。
江戸絵画の奇跡:ファインバーグ・コレクション
鈴木其一 群鶴図屏風 円山応挙 孔雀牡丹図 ↓ 
江戸東京博物館で行われている「江戸絵画の奇跡:ファインバーグ・コレクション」ファインバーグ夫妻は若いころ、無料で入館できたNYのメトロポリタン美術館に、江戸の絵画を見に通いつめたそうです。後に成功して江戸絵画の蒐集家となりました。
酒井抱一の「花鳥十二か月図」の一筆箋を買いました。一葉一葉にそれぞれの絵図が描いてあり、出すのがおしくなるような便箋です。
池大雅 孟嘉落帽
曽我蕭白 宇治川合戦図屏風
上のものはパンフに掲載されていたほんの一部です。琳派(尾形乾山・酒井抱一・鈴木其一ら)、文人画(池大雅・与謝蕪村ら)、円山四条派(応挙、森祖山ら)、奇想派(伊藤若冲・曽我蕭白ら)、浮世絵のコーナーに分かれていて、丁寧な説明がついています。保存状態もよく、素晴らしいコレクションでした。
会津若松を訪ねて
2013大河ドラマ「八重の桜」で人気の会津若松に行きました。若松城跡は美しい公園になっています。石垣は蒲生氏郷の築いたものが残っています。 若松城は別名「鶴ヶ城」。歴代藩主は葦名氏、伊達氏等ですが、蒲生氏郷や家光の弟保科正之、幕末の松平容保がよく知られています。 太鼓門は本丸に通じる大手門。ここの櫓に大太鼓があり、行事や非常時の合図に使われていました。 武者走りとは城内から城郭の土塁や石垣に登るための坂や石段。城郭外にあるものは犬走りと呼ぶそうです。
鶴ヶ城公園にある茶室「麟閣」は蒲生氏郷が千利休の子少庵を匿っていた時に作られたと伝えられます。中でお菓子と抹茶をいただくことができます。 これは、会津戦争の責任を取って切腹した、家老萱野権兵衛の碑。他2人の家老は既に戦死、西郷頼母は城を離れていました。 鶴ヶ城近くにある藩校日新館の天文台跡。藩士の子弟が学んだ日新館にはこのほか水練場、馬場などもありました。 この近くには山本八重の実家もありました。↑説明板が立っていますが、その後の詳しい調査で実際には少し違う場所であることが分かったそうです。
会津藩家老西郷頼母の家の女性たち21人は「女子は籠城の邪魔になるから」と城に入らず自刃しました。左の写真は、その時西郷頼母の妻八重子夫人の残した辞世「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそ聞け」が彫られている「なよ竹の碑」中央は西郷夫妻のお墓。右はその時自刃した21人を弔う墓石です。保科の分家、西郷家の菩提寺である善龍寺にあります。 「会津武家屋敷」は数棟の歴史的建造物を復元して作られた建物園です。西郷頼母の家老屋敷には「自刃の間」が復元されています。
西郷頼母の屋敷は建坪280坪、敷地面積は2400坪という広大なもの。家老職の為の表向と家族や使用人の為の奥向、合わせて38部屋もあります。 朱に塗られた九曜の紋のある鬼瓦で、西郷家の格式の高さがわかります。 表御殿の玄関。お成りの間、使者の間、台所、奥御殿の夫妻の間や子供部屋、女中衆の部屋などに家財道具と人形を配して目的を示しています。 「会津武家屋敷」のある小高い丘から鶴ヶ城の美しい姿が見えます。
ここは飯盛山。「あの階段を上らないと白虎隊の少年兵たちのお墓にお参りできない・・・ と、思いきや、階段横に登りの動く歩道が。立っているだけで山頂に行かれます。\250でした。 白虎隊は16〜17歳の少年で編成されたいわば予備隊でした。年を偽り15歳で入隊した少年もいました。そのうち二番隊の20人が飯盛山で自刃。1人は奇跡的に生還、19人が亡くなりました。 少年たちが燃え盛る会津の街を見て自刃を決意した場所から、かすかにお城が見えます。矢印の先端のあたりです。
白虎隊二番隊22人のうち、酒井峰治は山を下り城を目指しました。その時愛犬クマが山中で彼を出迎えたのだそうです。 戸ノ口堰は猪苗代湖から会津盆地に水を引くための用水堰です。白虎隊の少年たちは退却するとき、一時この弁天洞穴に潜んでいました。 これは珍しい建物。旧正宗寺円通三匝堂は「さざえ堂」と呼ばれます。昇降別々のらせん状斜路で階段は無く、一方通行で上下します。江戸時代には本所にもあり五百羅漢が安置されていましたが幕末に焼けてその後廃仏毀釈で中の仏像も失われました。今では世界でもこんな不思議な建物はここだけです。
秋季江戸楽アカデミー
ハンサムな先生でしょ?
お話も分かりやすくて面白かったです。高尾先生と同じ立正大学の先生なんですって
8月25日やっと少し涼しくなった日。滝口正哉先生のセミナーは「江戸名所と”忠臣蔵”というお題。赤穂事件のあと、判官びいきの江戸っ子たちは赤穂浪士の味方ばかり。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」は大当たりとなり、泉岳寺はたちまち「江戸の名所」となりました。義士の墓参りをする人が後を絶たず、秘仏開帳の時には義士の遺品も陳列されて評判に。試験問題になりそうなポイント満載で、受講者はみな熱心にききいっていました。
9月8日の江戸楽セミナーはいつもの神保町のビルではなく、日比谷図書文化館でした。 講師は寛永寺長臈の浦井正明師。テーマは「反骨の僧・天海〜紫衣事件を中心に〜」。108歳まで生きたという長寿の天海に興味があったので受講しました。 ついでに久しぶりの日比谷公園散歩。芝増上寺から移築されたという石橋発見。
9月29日は「赤穂義士が江戸っ子のヒーローになった日」。講師は菅野俊輔先生 「僕の話は脱線が多くて」・・。でも要点のわかりやすい、楽しい講義に、受講生はみんな真剣です。
両国散歩・義士の潜伏先と吉良邸
両国は何回も歩いたことがあるのですが、今回は吉良邸の門や前原伊助宅跡などの位置関係を自分の足で確かめようと思い、説明板を探して歩きました。本当は引揚げルートや、少し離れたところの義士潜伏先なども歩きたかったのですが・・・。
F @ A
B C D
E大高源吾の句碑
吉良邸の一部は松坂町公園に 両国橋からの眺め。先日船で通ったところ D義士たちは一之橋で竪川を渡って南下しました
2013.11.3 今度こそ!・・手ごたえはあったのですが・・・。
うーん、あと一歩というところです。まあ、苦手の漢字書き問題がいつになく
解けたので、まあ、来年にまた夢をかけます。
今年は紙袋ではなくて、「江戸検」の文字と勝虫(トンボ)の模様のビニール袋に
一昨年・去年と同様、やはり勝虫模様のブックカバーのお土産が入っていました。
江戸・将軍菓子づくし十五代(絵空堂菓子本舗)
な〜んて不思議なテーマの展示。
建築家でアーティストで江戸検一級取得者の木下栄三氏の作品を神田錦町のKANDADA3331で見ることができます。
 彼、徳川将軍15人を和菓子で表したらどんなお菓子になるか?なんておかしなことを考えたんです。
 そもそも今年のお正月の初夢が「将軍がお菓子を食べる」夢だったので思いついたそうです。

  豊富な知識と建築家特有の緻密なデッサン能力と、奇抜な発想を兼ね備えた木下さんならではの世界です。
 洒脱な文章も楽しめます。
入り口にはこんな暖簾 「嘉祥(かじょう)」とは、室町時代から続く行事で、6月16日、16個の菓子または餅を神に供えたあとに食し、疫病を払います。この日は江戸在府の大名たちが登城して将軍からお菓子を賜ります。
初代徳川家康
権現さま家康公は
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」の「天下餅」です。
天下餅は実際に新宿の老舗和菓子屋さんが作ったそうで、展示してありました。でも左の説明では「すぐ固くなる」とあります。 二代徳川秀忠
江戸城の本格的な工事を行った秀忠のイメージをぐるっとまいたロールケーキ「江戸中納言」でお濠を表現したそうです。
三代徳川家光
化粧に興味を持ったり、男色にふけったり・・というイメージから「久寿餅・家蜜」口直しにはたくあん(沢庵和尚から)ですって。
四代徳川家綱
「綱」にかけて「綱羊羹」家綱が将軍職についたのは11歳の時。優秀な老中、側近たちが実務を行いました。
五代徳川綱吉
ご存知犬公方さまは、犬型の「人形焼」。寝犬・座犬・立犬の3種類詰め合わせだそうです。カワイイ
六代徳川家宣
「天英堂きんつば」これは家宣の正室天英院の実家が近衛家、の「近」つばで、家宣の花押(判子)型
七代徳川家継
彼は4歳で将軍になり、8歳で亡くなりました。花押はお団子。だから団子詰め合わせ「継ぐ世もち」
八代将軍徳川吉宗
米価を安定させ、「米将軍」といわれた彼には米扁のついた粽を。「吉粽」は8個入りで、食べ方と由来付き。
九代将軍徳川家重
酒浸りだったと伝えられるので酒饅頭。お菓子の名前は「酒」と名前が入っています。
十代将軍徳川家治
将棋大好きで本まで書いた家治のお菓子は将棋の駒型のお煎餅「治駒あられ」これで遊べるらしい。
十一代将軍徳川家斉
ごぞんじ子沢山、55人の子持ち家斉のイメージは華やかな落雁の詰め合わせ「五五の御菓子」
十二代将軍徳川家慶
ペリー来航の嘉永6年の時の将軍は家慶でした。「おふるえあそばした」という家慶の為に「黒船最中」を。
十三代将軍徳川家定
三人目の妻天璋院篤姫が好きだった枇杷を刻みこんだ特製カステラ「家須定羅」これは美味しそうです
十四代将軍徳川家茂
和宮へのお土産の唐衣を渡すこともできず大坂城で死去した家茂を悼み、衣をかけた綺麗な「和風いえもち」
十五代将軍徳川慶喜
将軍として江戸城に住むことが叶わなかった彼の為に江戸城漆喰の二本線を入れた「桃山ケーキ」
この他に、江戸三十六見附(=門)のうち19の御門についてお茶屋とお菓子をデザイン。どれも気が利いています。 有楽町の名は数寄屋橋に住んでいた、信長の弟織田有楽斎に由来します。だからお菓子は「うらく」です。 木下さんは、このイベントを通して、和菓子の良さを見直したいと考えていらっしゃるそうです。 ここは院長の母校のすぐ横にある四谷御門跡。懐かしい土手の桜。ここにこんなカフェがあったらよかったのに。
これは江戸城本丸と、現在の東御苑のお庭を重ね合わせた地図です。さすが建築家!私も買って持っています。 この絵、「ぶらタモリ」のファンの方は見たことがあるんじゃないでしょうか?木下さんがこの番組で神田のお稲荷さんを案内なさったとき、「神田三十六稲荷をつなぐと狐の姿が浮かび上がるんですよ」にタモリも「へ〜〜え!」 木下さんは画家としても活躍中。朝日新聞に連載も持っていらっしゃいます。会場にはこんな美しい絵も。これは皇居北拮橋門ですね。
イベント会場の方に「写真撮ってもいいですか?」と聞いたら「どうぞどうぞ!」と言われたので調子に乗って撮りまくりました。
でもちょっと気が引けて急いだので下手糞写真ですみません。こんなに全部載せちゃってごめんなさい。
11月10日まで、神田錦町の神田警察向かい側KANDADA3331というところで\800で見られます。
みなさま是非ホンモノをどうぞ。
「江戸の名奉行」ゆかりの地を行く〜きままに江戸探訪〜(毎日文化センター講座)に参加しました
ガイドは人気ブログ「気ままに江戸♪」の執筆者「夢見る獏」さんです。博識で説明上手、行き届いた気配り。
案内上手とは彼のようなのような人のことを言います。
ルートはイトシア(南町奉行所跡)→数寄屋橋公園→旧比丘尼橋→京橋(大根河岸青物市場・江戸歌舞伎発祥の地・京橋親柱・経綸の碑)→京橋公園→(蜊河岸跡)→桜川公園(八丁堀跡)→京華スクエア(八丁堀組屋敷跡)→松平越中守屋敷跡→久安橋→歌川広重住居跡→ヤン・ヨーステン記念碑→丸の内トラストタワー(北町奉行所跡)。たっぷり歩きました。
獏さんが最初におっしゃったのが、「歩いているとき、想像力を働かせて、江戸の町を思い浮かべてください」ということ。
獏さんの説明を聞きながら景色を見ていると、高速道路や空き地が掘割や川に見えたり、四角いビルに大名屋敷や町屋が重なって見えたり。
町歩きの楽しさを再認した一日でした。
おなじみ大岡越前守の頃の南町奉行所は今イトシアの建っているところにありました。JR有楽町駅前のイベント広場に面してこんな説明板があります。 左の説明板が貼ってある入り口の階段を下りると地下広場があり、そこに再開発時に南町奉行所跡から出土した穴蔵(火事の時などに重要なものを入れて蓋をして類焼を防いだ地下金庫のようなもの:復元)、やはりその時出土した水道管を利用して作られたベンチ、同じく発掘された石で作った椅子がおかれています。 駅前にある有楽町、銀座の地図には天保14年の江戸切絵図が添付されています。赤い字の「現在地」=南町奉行所跡が今日の出発点です。
数寄屋橋から高速道路に沿って京橋方面に歩くと、江戸時代青物市場があったあたりに「大根河岸」説明のモニュメントが建っています。 江戸近郊から運ばれた野菜は水路から「河岸」と呼ばれる荷揚げ場に揚げられます。大根が多かったのでしょうか、この道は「大根河岸通り」です。 江戸歌舞伎は、上方の猿若勘三郎がこの近く(実際はもっと八重洲寄りの中橋付近)に建てた中村座から始まりました。歌舞伎座発祥の地を示すモニュメントがありました。 今は埋め立てられて高速道路になっている京橋川。京橋の欄干(左)と高欄親柱(右)が、近くに保存されています。欄干の擬宝珠は日本橋、京橋、新橋だけにつけられました
「経綸」とは国家の秩序を整え治めること。明治の大火の後、時の東京府知事由利公正が銀座を煉瓦の街に作り替えました。彼を称える経綸の碑。 「蜊河岸(あさりがし)」は三十間堀から楓(もみじ)川につながる水路の横にありました。ここは桃井春蔵の鏡心明智流道場士学館があったところ。近くにある土佐藩下屋敷(今は右写真の中央区役所となっている所)から、塾頭も務めた武市半平太や岡田以蔵が通っていました。 この「大野屋」さんは、安永年間創業の足袋屋さん。近くに芝居小屋があったので、昔から歌舞伎役者達の御用達。今も人気役者の常連客が多い。
ここは入船町の桜川公園。もと八丁堀の一部です。一段低い細長い空間は水路の面影を残します。真ん中の地図の写真の矢印のあたりです。「八丁堀」と言う地名はこの堀の北側一帯につけられていました。ここには町奉行の与力・同心の組屋敷(社宅団地のようなもの)がありました。今シルバー人材センターになっているところに「組屋敷跡」の説明板があります。組屋敷の一部は町人に貸すことができましたが、やはり商売や芸事の師匠などに貸すのはまずいということで、この辺りでは儒者や医者が多かったそうです。 今は高速道路となった楓川沿いに、最後まで幕府軍として戦った桑名藩主松平越中守の屋敷があり、「越中橋」がかかっていましたが、明治になって「久安橋」と名前が変わりました。
ここは宝町から八重洲に向かう道をちょっと入ったところにある歌川広重が晩年を過ごした住居の跡。「名所江戸百景」の生まれた場所です。「江戸百」は安政の大地震で大きな被害を受けた江戸っ子の間で大評判になりました。 東京駅八重洲口に向かう道路の中央分離帯に、慶長年間に日本に漂着したヤン・ヨーステンのレリーフがあります。「八重洲」の地名は彼の名前から、というのは有名な話ですが、実は住居は八重洲ではなく内堀内にあったそうです。 東京駅の操車場があったところは再開発でトラストシティのビルが建っています。ここに、江戸城外堀の石組みを再現した石垣があります。 赤の矢印は左の説明板にある、「矢穴」(石を割るためにつけたキズ)をしめしています。
江戸時代を通して、奉行所は何度か移転することがありました。ここトラストシティのある東京駅八重洲北口付近には文化3年から幕末まで北町奉行所がありました。 東京駅構内にも北町奉行所と、江戸の町奉行の説明が書いてある説明板があります。・・ここ、どこだと思います? トラストシティ側から大丸の横を通って東京駅八重洲北口に入る通路の、こんなところに案内板があるんです。パイロンが立っていて誰も気が付かないようなところにありました。東京駅構内図でいうと、のところです。
☆平成28年4月には移転されていたそうです。「気ままに江戸」のH28.5.13の記事に掲載されています。
町奉行について、知りたい方は、今「気ままに江戸♪」で詳しい解説が読めます。興味のある方は是非!
三度目の準一級・・ (・o・);
今年も合格率がとっても低かったんです。
新規合格者は今年も1名だったそうで。
平均点が51点というのは去年と同じ
70点以上で合格となる準一級は44人でした。
良く考えれば・・とかうっかり勘違いしなければ・・とか反省点がいっぱい。

まあ、4回目くらいまでは「初耳!」が50問くらいあったのが
今回は20問くらいに減りましたから、
それに試験で間違えたことって、確実に頭に入りますから
知識は増えている、と自分を慰めています。

来年も頑張るつもりです。
大浮世絵展(江戸東京博物館特別展)
1章 浮世絵前夜 庶民の風俗を描いた絵、というジャンルは江戸時代以前からありました。でも私たちがイメージする「浮世絵」とは少し異なるかも。
2章 浮世絵のあけぼの 寛文〜延宝年間に、美人絵が流行し、「浮世絵」と言う言葉も生まれました。
切手でおなじみ菱川師宣の「見返り美人」などが展示されていました。
3章 錦絵の誕生 肉筆画から版画が刷られるようになり、庶民も手に入れることができるようになった浮世絵。
明和、安永期には多色刷りが一般化、「錦絵」と呼ばれました。鈴木春信、勝川春章らの版画や肉筆画が展示されていました。例の笠森お仙などは有名ですが、あまり見たことのない絵も多かったです。
4章 浮世絵の黄金期 鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、栄之、国政らの版画が数多く展示されていました。
役者絵、美人画は江戸土産としても人気があり、地方に所蔵されていたものも。
しかし幕末以降、数多くの浮世絵が海外に流出したため、大英博物館やメトロポリタン美術館所蔵のものなどが多かったです。
5章 浮世絵のさらなる展開 江戸末期に近づくと、広重、北斎、国芳らが独特の世界観でそれぞれ個性のある絵を描きます。
閨秀画家の絵も多く展示されており、浮世絵の円熟を感じました。
6章 新たなステージへ 明治になっても、浮世絵の人気は衰えません。風俗が描かれ、ニュース性も持っている浮世絵というジャンルは存続しています。
しかし、幕末から入ってきた西洋画の手法が加わり、浮世絵は写実的になっていきます。
常設展の中村座前でからくり人形の実演をやっていました 
常設展示場の日本橋から場内をを見下ろすと江戸の賑わいが伝わってきます。芝居小屋の屋根の上の櫓は幕府公認の劇場のシルシです。櫓紋の「隅切り銀杏」は中村座の紋 水銀を利用する人形もありますが、これはばねと歯車で動く、矢を射る人形。矢をつがえ、きりきりと弓を引き、正面の的に命中させます。その間の首の動きなども見事です。 今字を書いているのは田中久重本人が作ったもの。アメリカに流出していたのが発見され、江戸博で買い取って修理したので今も「寿」「松」などの字を書くことができます。 これはからくり人形保存会の職人さんが作った現代の人形です。3方向の歯車を調整して絵を描かせることもできるのです。今年の干支をすらすらと描くのでびっくり。
企画展示は「東海道五十三次とお伊勢参り」
東海道五十三次は平成22年の江戸文化歴史検定のテーマ。55の宿場(日本橋と京都を入れるので)と広重の絵は全部覚えています。 江戸中期以降庶民に流行したのが社寺参拝の旅。「浪花講」は主街道筋の旅籠が加盟して安全な宿を提供したり、旅行案内書を作ったりした組合です。 「東海道中山道里程附」。東海道と中山道の各宿場間の距離がまとめてあります。折りたたんで持ち歩けるようになっているのですが、細かい字! 旅の持ち物の展示。手行李、懐中燭台、小田原提灯、「早道」という小銭入れ、火打石袋と道中銀など。小型にできていたり折りたためたりするもの。
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」は滑稽本としても、旅行案内書としても大人気となり、旅行ブームをさらに盛り上げました。 お伊勢参りも何度かブームがありました。これには伊勢の御師(参拝客の宿泊や伊勢参拝の世話をする案内人)の宣伝力が大きかったらしい。 伊勢神宮のお札や絵馬なども展示されていました。講を組む旅だけでなく、お店の奉公人などが突然でかける「抜け参り」もあったそうです。犬も参加したとか。 展示会場出口の床には東海道中双六。子供が双六をしながら歩き回っていました。
江戸の食文化 石神井公園ふるさと文化館特別展
今年の江戸検のテーマと同じ「江戸の食文化」展が開かれている練馬区の石神井公園ふるさと文化館へ。練馬といえば練馬大根。5代将軍綱吉公の脚気が治ったのは練馬の御殿で美味しい沢庵漬を毎日食したからです。
歌川広重の「浄るり町繁花の図」は人形浄瑠璃を商売の戯画にしたもの。「かしハシャモなべ」、稲荷ずしの切り売りをする「志のだ巻」、「あんかけとうふ・茶めし」などのたべもの商売が描かれています
天ぷらはむかし屋台で手軽に食べられるファストフードでした。 「近世商売尽狂歌合」の菓子売り。左は大坂の有名店「とらや」を真似した饅頭屋、右は「安南こんなん飴」売り。唐人の恰好で踊り、飴を売ります
これは高級料亭「八百善」が顧客の土産用に作った組立絵。紙を切り取って組み立てると八百善の店の立体模型になります。 産地によって形の違う野菜。江戸の住人畑銀鶏が大坂で見た大根は「江戸の蕪のような形で白い部分が太い」と書かれています。
「万宝料理秘密箱」にある「黄味返し卵」の作り方を再現した展示もありました。

@有精卵を35℃〜36℃に保った糠に3日間つけておく
A卵を取り出し、30回ほどぐるぐる回転させる
B鍋に水と卵を入れ卵を回転させながら、殻に亀裂が入らないように注意して茹でる
C殻を剥く。黄味が外側にあるので剥くのは難しいそうです。

卵が雛にかえる過程と偶然を利用したものだそうです。
常設展示場にも大根の話がいっぱい。パーテーションが干し大根ですもの 江戸近郊の野菜は江戸の食を支えました。「江戸町中世渡集」馬の背に大根を載せた「練馬の大根売」 滝沢馬琴の日記には、練馬のお百姓さんに下肥の代金として干大根の他に茄子も貰う契約が書かれています 岩崎灌園著「本草図譜」の「だいこん」の項目には「練馬徳丸の産は囲1尺56寸長さ3尺塩漬けに良し」
↑大根を馬にのせて江戸に行った帰りは荷車で、肥え桶を運びました。 沢庵漬のできるまで↑ ↑館内にあるうどん店が今回の展示の期間中「江戸うどん」を出しています。地元の生姜と沢庵の揚げ玉入り
幕末、信忠隊が三宝寺に駐屯した時は石神井村が支援しました。→
 古河の殿様と鷹見泉石
 古河城曲輪跡の石碑  雪の結晶のコップ
古河に行ってみたかったのは、「雪の殿様」土井利位の「雪華図説」を見てみたかったから。でも古河歴史博物館では企画展以外の期間には、雪の研究についての展示は少なかったです。  ここは天保〜安政期の土井家家老鷹見泉石の住居跡。鷹見泉石記念館となっています。雪華の観察には彼の蘭学者としての知識は欠かせませんでした。兵法も学んでいた彼は、主君利位の大坂城代時代に大塩平八郎の乱を鎮圧しました。また、江川坦庵、高島秋帆、渡辺崋山、桂川甫周やオランダ商館長らとの広い交友関係を持ち、オランダや欧州の資料を数多く収集していたことも知られています。
     
 土井家の菩提寺正定寺。土井家は合計155年、古河藩主でした。もとの菩提寺は浅草誓願寺でしたが、関東大震災のとき墓を移転したそうです。  初代藩主土井利勝の銅像。初の大老となった人です。家光の時代には最高権力者とも言われました。 4代将軍家綱の生母お楽の方の供養塔。当時の古河城主永井家の江戸屋敷にいた頃春日局に見いだされ、大奥に上がったそうです。
 
 
 2014.11.2 頑張ったのに・・・1点足りない(-_-;)  
 
 明治大学駿河台校舎前にはこんなふうに看板を持った男性が。  天気予報は大幅に外れて上天気。「外れる」・・嫌な予感がしました。  ここ一か月で「博覧強記」を毎日40ページ、400ページの本が3回読めました。 「江戸博覧強記」というテキスト
何度も読んですっかり覚えた

はずだったのに。
自己採点より1点低かったです。 
また準一級証カードが送られてきました。
一級合格は5人、殆どが古参兵らしい。
準一級は33人で、平均点が51点
「おめでとうございます」の字がうれしくない。
 
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 落ち込んでいても仕方ない。今年のテーマは「祭りだ!わっしょい-江戸の祭礼と歳事-」
 
 春季江戸楽アカデミー
平成27年2月8日。 久しぶりに江戸楽アカデミーを受講しました。テーマは「江戸の祭礼と歳事」  講師は以前も「ハンサムでしょ」と紹介した立正大学の滝口先生。「東都歳事記」などの資料をもとに分りやすい講義でした。
 初午祭り 2.11
 平成27年2月の初午の日はちょうど日曜日。豊川稲荷の初午祭に行ってみました。都会の真ん中、赤坂に東京別院があります。 稲荷神社だと思います?ブブー。ここは妙厳寺という曹洞宗のお寺です。本尊の豊川ダキニ真天は稲穂を荷い、狐にまたがっているのです。 神社ではないけれど、そういうわけで境内にはお狐様がいっぱい。
これは「子抱き狐」 。子育てや安産にご利益があるかな?
初午なので油揚げをお供えします。頭に乗せてもいいのかなあ?今日はお札を頂くと特別「串札」もいただくことができます。
 さてここは本郷にある、「三河稲荷神社」住宅街にある、こじんまりした神社です。 初午には、氏子さんが行燈を奉納します。神社の塀には行燈が沢山並んでいます。夜は火が入ります。  でも想像していた「地口行燈」ではなく、風流な俳句や、思い思いの言葉と綺麗な絵が描いてありました。   空気は冷たいけど、良いお天気でした。近くの駐車場にネコが二匹、向い合せで日向ぼっこ中
東京での初午祭りのメッカ、 王子稲荷にも行ってみたのですが、ご覧の人出。鳥居の外まで並んでいるなあ 山門に「凧市・2月11日、2月23日」の立札。火事除けの 凧守りや凧市目当ての善男善女が列をなします。  もうひとつ、初午の時だけ、大絵馬の公開があるようです。柴田是真の鬼女図は国認定重要美術品です。 参拝の行列は駅に向かう参道となっている商店街の半分くらいまで続いていました。葛餅のお店も行列でした。 
 
 
 春季江戸楽アカデミー
過去問題を総チェック!〜江戸のお祭り関連問題の解説とポイント〜 2.22
 待望のバクさんが講師に!
気ままに江戸♪ の夢見るバクさんに一級合格の秘訣を教えてほしいと、ずっと前からいろいろなところで声が上がっていました。今回、ついに実現!バクさん、このセミナーのために、過去問すべてをチェックして分析。本を選ぶポイントや必須暗記事項のポイント、模擬問題も作って下さって、われわれの一級受験を全面バックアップ体制です。
バクさんてどんなひと?「顔出しちゃだめよ(シャイだから?ハンサムだから?)」といわれたので、ごらんの写真でご想像ください。素顔をそのまま出すとセミナー人気が高まりすぎてパンクしますので、あしからず。
終わった後の情報交換会という名の飲み会にも参加しました。
毎日文化センター主催江戸散歩のお仲間や、バクさんのブログのコメント仲間が集まり、何と小学館の江戸検担当Tさんも加わって大盛況でした。お友達が沢山できました。
 
神田明神資料館・400周年記念特別展示 3.21
 
神田社のご祭神は大黒様・恵比寿様と、平将門公です。東京では最も古い神社の一つです。初めは現在の大手町将門塚辺りにありましたが、慶長8年、家康公により江戸城の鬼門に移され、「江戸の総鎮守」となりました。神田っ子の誇りとなっています。   
すごく立派な資料館の入り口・・と思うでしょ?入り口は建物の向う側です。気を付けてね。 神田祭は天下祭り。1年おきに日枝神社の山王祭と交代で江戸城で将軍の上覧がありました。  両祭とも山車行列の先頭は大伝馬町の「諌鼓鶏」 。鶏は人形師初代原舟月の作 江戸、明治、昭和にわたる資料を一気に公開。貴重な浮世絵が沢山展示してありました。 
歌舞伎の「祭」というと 「夏祭浪花鑑」が有名ですが、これは神田祭が題材の「花競神田祭礼」 川越祭の山車も「江戸型」のものがいくつかあり、ミニチュアが展示されていました。  江戸城の御門を通れるように上げ下げ可能な人形山車は、今も栃木市の祭で使われています。 高台になっている東方向。銭形平次の碑の向かい側に、春分の日、美しい梅が咲いていました。
 
増上寺宝物展示室 4.19
   
大門は当初の広大な敷地を表します。でも今は第一京浜国道に面していて、車がびゅんびゅん通ります。 立派な本殿。今日はあいにくの雨で東京タワーも霞んでいます。法要中で本殿の中は撮影禁止。  2015年4月2日、宝物殿が新しくオープンしました。英国王室に長く眠っていた秀忠公の霊廟模型が話題です。 展示室への入り口は本殿左(向かって右)の階段を降りたところです。 
   
明治43年ロンドンで開催された日英博覧会に、高村光雲監修で、1/10の正確な模型の台徳院(徳川秀忠)の 霊廟が出品され、その後英国王室に保管されていましたが、この度長期貸与という形で里帰りしました。約1年にわたるクリーニングと修復を終え、展示されています。 もとの(本物の)霊廟は 昭和20年5月の戦災で焼け落ちてしまいました。戦前の写真をもとに修復が行われました。 二天門(有障院:7代家継の霊廟の門)はかろうじて焼け残った建造物のひとつ。国の重要文化財ですが、だいぶ傷みが激しいようです。 
   
1.合祀塔、2.台徳院殿(2代秀忠)と宗源院殿(お江の方)、3.文昭院殿(6代家宣)、4.有障院殿(7代家継)、5.惇信院殿(9代家重)、6.慎徳院殿(12代家慶)、7.昭徳院殿(14代家茂)、8.静寛院殿(皇女和宮)の墓。
安国院殿(初代家康)は日光東照宮、大猷院殿(3代家光)は日光輪王寺、4,5,8,10,11,13代将軍は上野寛永寺に、15代将軍は谷中霊園に墓所があります。
宝物展示室と墓所入場のチケットを購入すると、左のような、戦災前の霊廟の写真と、明治時代の増上寺の鳥瞰図がもれなくついてきます。お得感。
 新発田城5.4
 新潟県新発田市に残る新発田城。別名を「あやめ城」というそうです。  天守替わりの三層櫓はT字型で3匹のシャチホコがいる珍しい造りです。 旧二の丸隅櫓は二の丸北部にあったものを鉄砲櫓跡に移築したもの  この腰まわり部分のなまこ壁は独特。瓦を並べて漆喰で繋いであります
初代藩主溝口伯耆守秀勝。信長に見いだされて秀吉配下となるが、関ヶ原では東軍に属し、家康からこの地を拝領しました。 本丸辰巳櫓(↑)と三層櫓は精密な図面が残っていたので、平成16年木造で復元することができました。 雪深いと思われがちな越後の国ですが、この辺りはそれほど 豪雪地帯ではありません。夕方なので暗い写真ですが、新緑の美しい町です。 高田馬場の仇討で有名な中山安兵衛はもと溝口藩士。赤穂藩の堀部弥兵衛に気に入られて養子となり、吉良邸への討ち入りに参加しました。
 
 
 江戸東京博物館と「花燃ゆ」展   6.7
 
常設展示室がリニューアルしたというので江戸東京博物館に行きました。 いつもと反対の入り口から入ったら、亀に乗り扇子を掲げた家康公が。  3Fの江戸東京広場には、享保年間に作られた浅草寺観音堂大棟鬼瓦  日本で最初に作られた耐熱レンガ製の西洋式溶鉱炉も 
   
日本橋と中村座は以前のものが残っていました。  九尺二間の棟割り長屋。まるで今人が住んでいるみたいな所帯道具も。  井戸と後架 (トイレ)は共同で。手前の箱はゴミ箱。どちらも資源です。  今年の江戸検テーマは「お祭り」。
これは神田須田町の「関羽」の山車
     
 特別展は大河ドラマ「花燃ゆ」展。吉田松陰の妹文の生涯をたどる展示ですが、半分以上は松陰や長州のものでした。 上は文の最初の夫久坂玄瑞の手紙。後に「涙袖帳」としてまとめたもの。
下は高杉晋作が旅に持って行ったという三味線。
吉田松陰は、勉強や思想は勿論、 出会った人々や出かけた先の様子、身の回りの買い物まで膨大な記録を残しており、興味深い 高杉晋作が一度山縣有朋に進呈したものの、やはり返してくれと言ったふくべ。山縣は高杉と酒を酌み交わした時の思い出をつづっています 
 画鬼 河鍋暁斎(かわなべきょうさい)展8.11
三菱1号館美術館に「画鬼河鍋暁斎展」を観に行きました。暁斎は天保2年生まれの天才絵師。画号は初めの「狂斎」から「暁斎」に改めたものなので「きょうさい」と読みます。 自らを「画鬼」 と呼んだ暁斎。6歳で歌川国芳、9歳の時に狩野珍信に師事。中国の故事の水墨画や真面目な仏画から春画まで、動物の戯画、恐ろしい妖怪の絵、風刺画とあらゆるジャンルの絵を描いています。 観察力を養うようにとの国芳の教えに従って喧嘩を探しに歩いたり、生首の写生をしたという伝説の持ち主。狩野派の正当な絵師にもなりましたが、幕末〜明治期、需要に応じて風刺画や灯篭絵を描いて生活していました 岩崎邸や三菱一号館を設計したイギリスの建築家ジョサイア・コンドルは暁斎に傾倒し、弟子となって暁英という画号で水墨画を描きました。コンドルの弟子には東京駅を設計した辰野金吾らがいます。
   
相撲をとる蛙のマグネットや、暁斎の絵日記からの絵がついた一筆箋を思わず買ってしまいました。一筆箋の一番右の絵は暁斎が詳細につけていた絵日記に出てくる「コンテル君」すなわちジョサイア・コンドルです。来客や出入りの職人なども絵日記に登場します。 暁斎が好んで描いたのは上段のような化け猫ばかりではありません。 
このハンドタオルのネコは可愛いでしょ?
この庭もジョサイア・コンドルの設計によるものです。イギリスの庭園ふうの美しい庭。東京駅から地下街で繋がっています。
 
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 歌川国芳展8.23
 
横浜そごうのそごう美術館で行われていた「歌川国芳展」にも行きました。河鍋暁斎の浮世絵の師、歌川国芳は日本橋の染物屋に生まれ、初代歌川豊国の弟子となりました。文政10年ごろ、滝沢馬琴の合巻で人気が出た「水滸伝」の登場人物の版画が大ヒット。八犬伝の登場人物や、忠臣蔵の人物(役者絵)でも人気を博しました。 その後、武者絵や役者絵のほか、美人画、戯画、西洋画ふうの風景画まで、幅広い活躍で人気を得ました。これは、上下をさかさまにすると別人の顔になる一種のだまし絵。壁に回転できるようにいろんな顔がとりつけてありました。子供が回して遊んでいました。
左上の入り口の絵は大名行列を見下ろす大奴が武士をバカにしているように見えるので筆禍をおそれた版元が早々に回収したそうです。
     
図譜の表紙は「宮本武蔵の鯨退治」と、「二代目中村芝翫の袴垂保輔。武者絵と役者絵は国芳の真骨頂と言えます。でもどっこい!それだけじゃない これは有名な寄せ絵「みかけハこハゐがとんだいいひとだ」のマグネット栞 国芳は猫好き。猫の絵も多かったです。
猫の体で「かつを」色も形も可愛いので絵葉書を買いました。
これは「流行猫の狂言づくし」の絵葉書から。口上を述べる猫
「東西東西 この度新工夫 猫狂言にこれ仕組 おいおいご覧に入れ奉りまする そのため口上さやう にゃぐにゃぐ」
もう一枚の絵葉書の「一の谷ふたば軍記」の熊谷直実と相模。多分モデルの役者がいて、似顔になっていると思います。
ただの役者絵では飽き足らず遊び心のある絵も多い国芳です。

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 夏のバクセミナー:これぞ一級試験の傾向と対策 8.30
「顔出してもいいよ」とおっしゃったので、一緒に写真を撮っていただいちゃいました。今年こそ合格してバク先生に恩返ししたいものです。 だって、過去9回の一級試験と模擬試験の問題を、すべて教科書「博覧強記」の項目に照らし合わせて問題傾向をデータ化されたんです。 で、ポイントの説明の他に、お題関連と確認用の模擬試験を用意なさって 「いきなりテスト」も。
 
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 平河天満宮開帳奉納附 9.13
   
 今年のお題「江戸の祭りと祭事」の参考図書に、平河天満宮の奉納番付の図が載っていました。 嘉永5年の「平河天満宮開帳奉納附」は菅原道真950年忌の居開帳の際のもの。ご開帳本尊以外の見どころも合わせて客を呼ぼうということか。 この奉納番付に載っている奉納物が残っています。 ↑は左の絵の右下に描いてある「石工弥兵衛・停め三郎が製作し、雲龍堂光圀や龍梅堂の布施タキ(文政〜文久年間の麹町の手習い師匠)の門弟らが奉納した石灯籠。
 
 奉納番付左下にある「撫で牛」は、麹町に住む常盤津の岸沢右和左の門弟らが奉納したもの。 天神信仰は手習いや芸事の上達祈願にも通じるため、手習い師匠や書家、常磐津師匠の寄進が多いそうです。  番付右下に書いてある絵と同じ「筆塚」筆塚の字の右に「嘉永五年 壬子〇二月〇〇」左に「禅庵蟻道書」の文字
 
上の番付中央に書いてある狛犬も残っています。享和元年に製作されたものをこの年再建したそうです。 「百度石」 はお百度を踏むときの標。番付の絵には見つけられませんでしたが、奉納附の刷り物に紹介されているところに依れば高橋丈鯉作、寄進者は町名と名前、藩名と名前、名前だけの人物らとなっていて、学問の繋がりによる集団ではないかと推測されるそうです。 すぐそばの中坂。山王祭の大きな山車がこの坂を上ったんですね

 
 江戸検一級直前特訓講座ー今年はこれで合格しようー 9.20
「 この講座を受けた人は全員合格してもらいたいと本気で思っています」
とバクさんらしい言葉。
彼の人柄に沢山の仲間が惹かれて集まっているのです。  
 「絶対合格したい人へ」のメッセージ
絶対合格するという強い意志を持ち、合格します と他人に宣言し、博覧強記からの問題は全問正解し、、、。
その通りなのですが難しいのです。
この後「情報交換会」 と言う名の飲み会があり、参加しました。楽しすぎて写真を撮るのを忘れました。

 東洋文庫ミュージアム 「幕末展」
 
東洋文庫は岩崎久彌氏が設立した日本最大の東洋学研究図書館です。12月27日までミュージアムで「幕末展」が開催されています。江戸検のお仲間に教えて頂いて、行ってみました  「鎖国」は元禄時代に日本を訪れたオランダ商館付き医師ケンペルの「日本誌」を幕末に翻訳した志筑忠雄が初めて用いた言葉です。その「鎖国論」が展示してありました。 鎖国と言っても日本には外交の4つの窓があいていました。その絵図の展示。左上は対馬=朝鮮、右上は薩摩=琉球、左下は松前=アイヌ、右下はご存知長崎の出島=オランダです 江戸中期、新井白石はイタリア人神父ヨハン・シドッチの取り調べで西洋の天文学や地理学の知識を得て「西洋紀聞」を表しました。 白石の自筆のメモの展示がありました。
 
江戸時代の日本の識字率は非常に高く、江戸中期以降は都市部に限らず、農村部でも手習いは普及していました。↑は「往来もの」と呼ばれる、手習いの教科書です。 ↑は江戸初期の数学者吉田光由の「塵劫記」。九九や面積の求め方、鶴亀算などを網羅しており、江戸時代を通じて版を重ねた、算術書のロングセラーでした。 18世紀後半の日本沿岸には外国船が現れるようになり、林子平は日本の海防政策の不備を指摘する「海国兵談」を著しました。幕府批判とみなされ処罰を受けますが、まもなく彼が正しかったことがわかります。 土佐の船乗り、万次郎が難破に会い、アメリカ船に助けられた話は有名です。船長の養子となった彼はアメリカで測量や航海術を学び、嘉永5年帰国しました。↑はその時の聞き取り書「難船人帰朝記事」 
 
そして翌年嘉永6年ペリー率いる米艦隊が浦賀に現れます。「太平の眠りを覚ます浄浮船」です。この頃、大国のはずの清がアヘン戦争で英国に敗れるという、日本にとっては驚愕のニュースが入ってきていました。 幕末の有識者たちは、アヘン戦争のこと、西洋の高い文化のことなどを知る為に、禁書となった本も読み漁りました。「国防には西欧列強の技術を学ぶ事が必要」と考えたのです。↑は竜馬も松陰も影響を受けた「海国図誌」(魏源著) 同じ頃、ロシアのプチャーチンの艦隊も長崎に。翌年再び来航した時、下田沖で安政大地震の大津波に巻き込まれて乗っていた軍艦が大破してしまいます。下田近隣の船大工が協力して代替船を建造しました。↑は船の完成を喜び合う日・露の人々 幕府は西欧諸国に屈した形での条約締結を止む無くされ、反対派の弾圧を行いますが、大老井伊直弼が暗殺され、「攘夷対開国」の図式は「尊王対佐幕」へ。そして力を失った徳川家は大政を奉還します。そして始まった戊辰戦争の絵図↑。
 
 東洋文庫ミュージアムには他にも魅力的な展示品がいっぱい。ここは「モリソン書庫」。岩崎久彌氏が豪州人モリソン博士からまとめて購入した2万4千点の書物、書簡、絵画など。 ラフカディオ・ハーン 、すなわち小泉八雲が知人に書いた自筆の手紙も展示されていました。
達者な筆文字で署名があります。
これは「聖徳太子の愛読書」 として展示されていた、木簡の「妙法蓮華経」ネパールで書き写されたもので、サンスクリット語で書かれています。 「文選集注」(もんぜんしっちゅう)は中国最古の詩文選集。現存する24巻のうち7軸が東洋文庫所蔵なのだそうです。(国宝なのに禁撮影ではないのです) 

 
 
 2015年11月3日 第10回江戸文化歴史検定(今年はイケたはず)
 ついに10回目を数えた江戸文化歴史検定。良いお天気に恵まれました (恐らく)アルバイトさんがプラカードで迎えてくれるお馴染みの風景。  ここ5年間は一級に受かるつもりで勉強してきました。  自己採点では合格圏内ですが・・。
お土産に人形焼を頂きました。 
 馬琴と月岑:日比谷図書文化館
 日比谷図書文化館で「馬琴と月岑」展をやっていたので、試験の後、そろそろ紅葉が色づき始めた日比谷公園へ。園内では甲府ワインのイベントや、菊花展も開催されていました。 「千代田区の江戸人」というコンセプトの展示。曲亭馬琴は深川の生まれですが、養子に入った先は九段、そして引っ越し先の外神田で作家活動をしました。  齋藤月岑は神田雉子町の町名主の家に生まれ、神田祭の取り締まり役を務めていました。祖父、父から受け継いで「江戸名所図会」の編纂をしたことでも知られています。  そしてこの後神田歩きをしたので、先ほど図書文化館で見た、齋藤月岑の居宅跡の碑を 探しました。靖国通りの歩道にうっかりすると見落としてしまうような碑が建っていました。
 
 
やっと合格しました! 
     
ばんざーい!
「準」のとれた 合格証  やっぱり自己採点より1点低かったです 合格者23人合格率4、2% 
 
江戸検受験者交流会(兼祝勝会)
バクさんのガイドで江戸めぐりをしている人、バクさんの講義の受講者、そしてバクさんのブログのファンが集まって宴会です
 1級合格者記念撮影。今日の会に男性5名女性3名が参加しました
合格者は祝福してもらいました。惜しくも届かなかった方達は「来年頑張ろう」会。みんな一人じゃないんだ! ちょっとメイワクげな顔のバクさんと強引にツーショット。だって私の合格は彼のおかげですから。  40人も集まりました。一人一人自己紹介をするから、と貸切時間をお店の決まりより1時間延長して貰ったそうです 新規合格者15人のうち、9人がバクさんの検定対策講義を受けた人だそうです。正に江戸検の東進ハイスクール 
 
 肉筆浮世絵〜美の競艶 上野の森美術館
シカゴの浮世絵・印籠・根付収集家ロジャー・ウェスティン氏 の所蔵品の展示です。
江戸初期から幕末、明治期までの肉筆浮世絵美人画、100点を超える展示に圧倒されました。
初期の不明の画家から、勝川春章、喜多川歌麿、葛飾北斎らの浮世絵は、勿論画家や時代による絵の違いもありますが、何と言ってもファッションー着物の柄、化粧、髪形の時代による違いが面白い。
着物についていえば、江戸初期は大胆な模様の配置や染め分けの柄が流行しました。やがて江戸小紋などが現れ、贅沢な絞り染めは贅沢禁止令発令後、表向き地味になります。しかし、ちらっと見える襦袢が派手な緋の絞り。女性たちはおしゃれをわすれません。
髪形の変遷は、初期の反りあがった髱(たぼ)、中期の横に広がった鬢(びん)、その後バリエーションの増える髷(まげ)に特徴があります。。
美人の基準も初期の豊満な頬や身体の線が、中期にはほっそりしてきて、受け口になったり。
化粧では江戸後期に流行した「笹べに」という玉虫色→緑色の下唇が描かれていたり。
「博覧強記」で学んだことが、絵を見る上で楽しさを増す・・・それが実感できました。
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