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Inside Farming Vol.193 (Japanese)



友人の他界に寄せて


 同世代の農業の友人が他界してしまった。

出会って間もなかった頃、農業を始めたばかりの私に「河合君、複合汚染(有吉佐和子著)を読んでみてよ」と優しい口調で薦めてくれた友人である。後日私が「読んだよ」というと、「初めて読んでくれた人がいたよ」と喜んでいた。25年ほど前の話である。突然に家業の農業を継ぐことになって農業に魅力を見出せずにいた私に「農業」の社会的な意義を気付かせてくれた人であった。Love&Peaceを信条とする人であった。


今から10年前の2002年、雹被害のせいで農業経営に悩んでいた私は2人の友人と飲んで10年後の農業経営のイメージを尋ねている。その様子は「10年後の農業経営のイメージ」としてHPにアップしてある。この時、友人の一人(生産から販売まで果樹全般の現場の知識を有するNさん)は、先進農家における高収益の経営モデルをいくつか教示してくれた。もう一人の友人(低農薬栽培林檎を独自ルートで販売し、安定した果樹園経営をしているHさん)は、仕事に対する自分の気持ちを大切にして、進む道を考えればよいとアドバイスしてくれた。

その5年後の2007年、私は、この2人の友人と久々に飲んでいる。この時には、異常気象やデフレといった逆境を乗り越えながらそれぞれの道で頑張っているお互いをたたえあった。その様子は「気の置けない飲み会」としてHPにアップしてある。その文章の最後は、「5年後はどうなっているのかは相変わらず不安だし不透明だ。けれども、今までを乗り越えてきたように、なんとかやっていかなければ。ケセラセラ。5年後も楽しく飲めますように!(2007/7/6)。」と結んである。



その5年後は、昨年の2012年であった。

2012年の11月、Nさんから「Hさんのお見舞いに行こう」という電話がきた。Hさんが体調を急に崩しているということであった。ここ数年ご無沙汰していることを反省しつつ、私は、あの飲み会以来5年ぶりにHさんに会った。久々に会ったHさんは「河合君、ちょっとやせたね」などと優しい口調で声をかけてくれた。それに対して、私はHさんにかける言葉がなかった。Hさんには黄疸が出ていた。



そして、2013年の1月に、Hさんは他界してしまった。


ご無沙汰していても、仕事のフィールドが違っていても、私達3人はどこかで繋がっていて、遠くで励まし合っていて、互いに認め合っているとずっと確信していました。もう会えないことが残念でなりません。Love&Peace。(2013/2/4)

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