提灯祭りの由来
■ 久喜地区
久喜の提灯祭りは、天王院の境内に祀られていた牛頭天王社の疫病退散・厄除けを祈念する夏祭りに由来するとされています。
文化年中(1804年〜1818年)に神輿が奉納されたとの記録が残されていることから、この時期から祭りが始まったと考えられています。
現在の祭りで巡行している山車が、いつごろから登場したかは不明確でありますが、古文書の記載からは、少なくとも天保10年(1839年)には山車の存在が確認されているとのことです。
江戸時代には、牛頭天王社の祭りであることから「天王祭」、明治以降には、神仏分離令により天王院から独立して明治6年(1873年)に八雲神社へ改名したことから「八雲祭」と呼ばれていました。
少なくとも大正以降では、数多くの提灯が飾り付けられた山車が特徴的であることから、「提灯祭り」と呼ばれるようになりました。
最近まで祭りの由来は、天明3年(1783)浅間山大噴火によって大きな被害を受け、これから立ち直ろうと、本町の宮本家の祭礼用山車を借りて、町内を引き回したのがはじまりといわれていましたが、裏付けとなる資料も無く、近隣の山車祭りの発祥時期を考慮すると、由来としては不適当ではないかということとなっています。
江戸時代に、現在の愛知県津島市にある津島神社(津島牛頭天王社)の信仰を広める活動が行われており、埼玉県内各地においても津島神社系の天王様の祭りが多く存在しています。(白岡市篠津の天王様等)
久喜の天王様も「津島神社」に由来する可能性が高く(明確な書物は残されていない)、山車に数多くの提灯を飾ることも、津島神社の天王祭の宵祭で登場する提灯を飾った巻藁船の影響を受けていると考えられています。
---(久喜八雲神社の山車行事(天王様・提灯祭)久喜市教育委員会 平成31年3月15日 より)
津島天王様 夜の山車