§9 ケインズ乗数効果式誘導における均衡理論の検討

工博 林有一郎

平成18年10月17日

 本文のテーマは、近代経済学の中で、今なお大論争中である大変重要で大きなテーマであるので、「ケインズ投資乗数効果式に基づく有効需要原理(有効需要の原理)は数学的に誤りである」という結論とそれに関わる均衡理論に関する論述を除き、その他の均衡理論に関する論述は、筆者の確定的な主張ではないことを承知されたい。

MPCはGVA変動解析に関係しない。

ケインズ投資乗数効果式誘導に関する限り、需要関数と供給関数は45度線上で重なり、均衡理論手法は適用できない。

経済に利益極大条件は存在しない。

9.1 均衡理論による従来の投資乗数効果式の誘導

 ケインズ投資乗数効果式は、全ての教科書において、均衡理論によって誘導されているが、その誘導過程について誰一人からも疑惑の念を聞いたことはない。筆者の見解によれば、ケインズ投資乗数効果は存在しない。もしそうであれば、均衡理論による解析手法自体に問題があるのかもしれない。そこで、本節では、ケインズ投資乗数効果式誘導を対象として、均衡理論解析手法自体を考察する。

 英文§3における均衡理論による乗数効果式誘導を復習する。その誘導の説明図をFig.3-3に示す。

Fig.3-3 均衡理論による投資乗数効果の誘導

 Fig.3-3において、水平軸は国民所得Y1を、鉛直軸は総需要Y2Dと総供給Y2Sを表す。総需要関数Y2Dは式(3-2)で与えられ、英文§3、Assumption 5の下で、図ではK*を通る斜線上の点として示される。乗数効果モデルにおいては、G2Y21成分であり、他の成分変数に対し、一種の独立定数(固定費)変数である。式(3-7)は、Y2Sと国民所得Y1との関係を表す。

Y2D= (Y1)= C2(Y1) + I 2(const.) + NX 2 (const.)+ G2

(3-2)

Y2S = f(Y1) = Y1

(3-7)

 なお、次のことに注意しよう。ケインズはワルラス均衡を否定し、価格は短期において硬直的であるとする。従って、総賃金W = w · n(w=労働価格、n=雇用数量)において、労働価格は変化しないので、独立変数は、n(水平軸)である。鉛直軸はnの従属変数であるGDP(最終生産物)Yである。総需要関数Y2D総供給関数をY2Sと表す。Y2D = C2D(n) + I2D(n)は、45度線である。Y2S = C2S(n) + I2S(n)であり、C2S(n)=ケインズ型消費関数、I2S(n)=定数、と仮定されるY2D(ne)=Y2S(ne)とするneの値が均衡雇用数量である。最後に、均衡点にあるGDPとしての概念Y(ne)が国民所得の概念に変更される。

 英文§3、Assumption 1より、消費需要は、式(3-3)のように表される。

C2 (Y1)= aB + MPC·Y1

(3-3)

 総需要と総供給が国民所得Y1で均衡するという意味をFig.9-1で説明する。K*を通る斜線は需要者(生産者、家計、政府)により「意図されている総需要線」を表す。45度線は、生産者が実際に生産する在庫を含む「実現される総供給線」を表す。生産が均衡点K*の水準を超えるY1であるとすると、[Y1−E1]が過剰在庫である。このとき、生産者は生産を減少させて在庫を減らし、賃金、即ち所得を減らす。生産がY2であるとすると、逆の動きが起きる。かくして、実際の生産は総需要線と45度線の交点、即ち均衡点に速やかに収斂する。ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)がワルラス一般均衡理論と対峙して有力な経済理論として認められている理由は、この均衡過程論理が数学的に又は会計学上、妥当であると認められているからである。

Fig.9-1 需要と供給の均衡

 そして、財貨の価格が硬直的であるような短期間においては、そのような均衡点への収斂は、財貨の数量調整を通じて行われる。財貨に対する需要、供給の均衡点では、必ずしも、労働の需要と労働の供給は均衡状態にはないことから、非自発的失業状態が存在する。これを改善するには、政府が公共投資を増やしてやればよい。これが有効需要の原理である。

 Fig.3-3 戻って、需要Y2Dと供給Y2SがK*で均衡しているものとすると、均衡国民所得Y *1は、式 (3-3)を代入した式(3-2)と式(3-7)の解として、式(3-9)で与えられる。式(3-9)において、a B MPCは確かに統計的に定数として存在すること、I*2 NX*2は定数であると仮定したこと、G*2Y*1とは線形関係にない一つの独立変数であることに注意する。

Y*1 = ( a B +  I*2 + NX*2 + G*2 ) / (1 - MPC ) 

(3-9)

 ここで、変数である政府需要G*2だけを、国債発行によって、G*2 + ΔG2D = G**2に増加させるものとし、その結果、所得Y *1SY **1S=Y *1S+ΔY1になり、均衡点K*は新しい均衡点K**に移ったものとすると、式(3-9)により、容易に式(3-13-1)が得られる。英文§3中の式(3-10)を由しても全く同じ結果となることを確認されたい。従来の均衡理論手法によれば、式(3-13-1)は、2個の線形方程式の解、即ち2本の線の交点として得られ、必然の結果である

ΔY 1 = Δ G2 / (1 -MPC)

(3-13-1)

 Fig.3-3は、英文§4、[Question-8]、Fig. 4-2(下図)に示され、英文§5、5.2、で説明されている損益分岐点型財貨図であることに注意する。何故なら、その図が時系列型財貨図であれば、例え、意図されている時点であっても、部分財貨であるC(Y)とI(Y)の和は、必ず全体財貨であるYと一致し、そしてY=45度線であるからである。

Fig. 4-2、英文§4

9.2 従来の均衡理論による投資乗数効果式誘導の誤りの原因

 前述の知識を基にすれば、投資乗数効果式の正しい誘導方法は、次の通りである。I2=const. NX 2=const.の仮定は変更しないことにする。式(3-2)を再掲する。

 Y2D= (Y1)= C2(Y1) + I 2(const.) + NX2 (const.)+ G2(Y1)

(3-2)

誘導1

 もし、式(3-2)の中で、G2だけを増加させて、G2+ΔG2としたいのであれば、式(3-2)の増分方程式は(9-1)のようになる。

Y2D+ΔY2D = C2(const.) + I 2(const.) + NX2 (const.)+ G2+Δ G2 

(9-1)

(3-7)、式(3-2)、(9-1)から次式を得る。

ΔY1 = Δ G2

(9-2

誘導2

 もし、式(3-2)の中で、C2C2+ΔC2に、G2G2+ ΔG2に増加させたいのであれば、式(3-2)の増分方程式は(9-3)のようになる。

Y2D+ΔY2D = C2+ΔC2 + I 2(const.) + NX2 (const.)+ G2+ ΔG2  

(9-3)

 式 (3-7)、式(3-2)、式(3-3)、式(9-3)から、次式を得る。

 ΔY1 = ΔG2 / (1 -MPC)

(3-13-1)

 もし、式(9-1)の中で、G2だけをG2+Δ G2に増加させたいのであれば、言うまでもなく、式(9-2)の関係が正しい。ケインズはΔG2だけをもって、式(3-13-1)で得られる所得を得たかったはずであるが、その意図はもちろん実現されない。

 誘導1と誘導2の過程をFig.9-2で説明する。この図は、均衡理論手法が何処で誤った結論を引き起こしたかを示している。

Fig.9-2 均衡理論手法の誤り

 均衡理論手法の誤りは、均衡点K*とK**との間、即ちGVAの増分区間で生じている。その原因は、均衡点K*とK **を結ぶ線を対角線とする正方形内で、損益分岐点均衡が自動的に生じていることである。

 損益分岐点均衡とは、次のことをいう。経済価値の集まりの動きを表す一つの経済システムがあり、そのシステムでは、全体経済価値変数=Σインプット変数=Σアウトプット変数が成立っているものとする。それらの変数は、二つのグループに分けられる。一つは、各変数の動きが1個の固定値変数F(各変数が全体値の大きさYに比例しないで変化する変数。人間の経営における意志や投資資金の回収費用に対する税務上の費用許容上限値などによって決まる変数。)を与えるグループであり、他の一つは、各変数の動きが全体値の大きさに比例して変化する1個の変動値変数Vを与える(比例定数=ν)グループである。

 このとき、1個の固定値変数F0が先に与えられると、全体値変数Wは、W=F0+Vが成立するように、自動的に、変数が増減して全体値が定まる。この理由は、このシステムが1自由度系であることによる。この系では、如何なる時点においても、必ず、GVAインプット=GVAアウトプット(滞留を含む)が成立っていなければならないことに注意しなければならない。

 資本主義経済においては、相手との取引(又は契約)の関わる全ての経済活動分野で、全ての経済価値がこの損益分岐点均衡法則に支配されて経済の中を流れる。経済価値の移動の(取引)の瞬間に、人間の自由意志が取引に介在される。この自由意志が固定値変数である。人間の自由意志による価値量は、物理の力学法則や数学の確率法則に従わない。分業において、当方が費やした経済価値と相手がその対価として認めた経済価値との正の残余価値が利益であり、不足分が損失である。利益は、取引の瞬間に新しく生まれた経済価値である。損失は、自己の蓄積貯蓄の費消か、借入による他者の貯蓄(当該年度、又は過去の蓄積)の費消である。

 §8で説明した通り、筆者の見解によれば、キャッシュフローベクトルYΓは、その変化に当たって、経済が1自由度系である限り、K*とK **を頂点とする正方形とは何の関係もない。正しいキャッシュフローベクトルの変化は、例えばFig.8-2に示す円の拡大縮小である。その動きの中に、経済が1自由度系である限り、即ちMPCが存在するとする限り(実際、存在している。)、MPCは全く関係しない。即ち、投資乗数効果式誘導に当たっての均衡理論手法の誤りは、GVA変動解析に、MPCの存在を考慮したことこそが原因であったのである。あるいは、C(Y)にはMPCの存在を考慮し、I(Y)にはMPI=1-MPC(仮定:家計貯蓄は全て企業資本財に吸収される。)の存在を考慮しなかったことである。

 Fig.9-2を一見すると、原点〜K*区間(実際は、K*1点)では、独立変数はΔCだけの1自由度系、K*〜K **区間では、独立変数はΔGとΔCの2自由度系のように見えるが、事実は逆である。前者の区間では、ΔGとΔC(=0)の2自由度系、後者の区間では、与えられたΔGのみ、又は与えられたΔCのみを独立変数とする1自由度系である。

 それでは、このΔG増分問題の系は、原点〜K*区間で示される2自由度系であることが正しいのか、それとも、K*〜K **区間で示される1自由度系であることが正しいのか?ΔGの原資が公債によるものであれば、公債は家計の貯蓄により資金調達されたものである。即ち、消費されるべき資金が公債に回り、民間消費ΔC (= ΔG)は発生しない。従って、この系は、最初から最後まで、2自由度系であり、原点〜K*区間の動きが最後まで維持されることの方が正しい。ここで、新しい法則を得た。「公債による追加的な政府支出には、MPCの法則は及ばない。」 (2006/9/26)

 経済解析において、MPCだけに限界支出性向があるように考えられているが、そうではない。英文§4、Fig.4-7に示した通り、他の財貨であるI、G、NXにも全て統計的に限界支出傾向が存在しているのである。このことは、Eq.(3-R7)は、経済変動問題解析において重要な役割を果たすことを示している。但し、aK (t) =aC (t) と置き換えた。

 aC (t) +  a (t) +  aNX (t) +  aG (t) =1

(3-R7)

 過去の他の経済変動解析においても、次の条件が満足されているかどうか吟味の必要がある。

(1) この式を満足しない経済変動は存在しない。

(2) この式を満足しない仮定を設けてはならない。

(3) 例えば、ある経済変動問題解析において、 aI (t)=0の仮定を設ける場合、Yの中に、Iは最初から存在しないという仮定を設けるか、変数増分に対して、固定値変数増分ΔIを考慮した解析を行わなければならない。

Fig.3-3において、K**を通る「意図されている総需要線」が、何故現れたのであろうか。それは、I=定数、NX=定数の仮定を設けたからである。この仮定の下では、a (t) =  aNX (t) =0となり、式(3-R7)より、次式を得る

MPC +   aG (t) =1

(9-4)

両辺にYを掛けて次式を得る。

MPC · Y +   aG · Y = Y

(9-5)

 Y=Y*で式(9-5)は満足されているものとし、さらに、Y=Y*+ΔYでも満足されるものとすると、代入された2式より次式を得る。

MPC · ΔY +   aG · ΔY = ΔY

(9-6)

 aG · ΔY = ΔGと表す。ΔGを固定値変数増分とみなし、ΔC(=MPC · ΔY)を変動値変数とみなして、式(9-6)により、意図せずに(ΔCを供給しないのに)損益分岐点均衡が生じてしまった(自動的にΔCが増加した)のがK*〜K **区間である。従って、この区間の誤りは、I=定数、NX=定数の仮定を設けたことにより生じたことになる。

 この解析見解に従えば、ΔG2のみのGVAの変化に対しては、誘導1しかありえないことが分る。従って、実現された総需要線は、常に、必ず総供給線、即ち、Fig.3-3では、45度線(実際は任意の角度線上でよい。)に一致する。Fig.3-3を正しく図示すれば、Fig.9-3のようになる。Fig.9-3は、少なくともΔG2のみのGVAの変化問題においては、財貨生産図は、時系列型財貨図(支出線は原点を通る。)でなければならないということを示している。

Fig.9-3 正しく表した需要と供給の均衡

 この理由は、次のように説明できる。Y= C(Y) + I(Y)とするYと消費関数C(Y)が統計値であれば、当然ながら、投資関数I(Y)も統計値である。Y45度線にある。ケインズ型のC(Y)は原点を通り水平軸と45度線の中ほどより少し上にあり、上方に僅かに凸の非線形線である。I(Y)45度線とC(Y)との差である。このC(Y)は、実は、消費者が、与えられた総賃金Wの費消において、消費と貯蓄(余暇価値ではない。)を選択する際において、消費者側からの最大効用が果たされた結果としての消費統計値なのである。

 IY)は、CY)とIY)との間の1自由度系の原理によって、CY)と一意的に連動している。従って、通常は、供給CY)+IY)は、需要CY)+IY)に対応する生産者側によって実現される供給となる。このときの生産に際し、減価償却費D(実際は制約値)と賃金Wと利益πの選択において、生産者の最大効用が果たされている。なお、MPCが存在し(ケインズ型でも)、政府の借入がない成長を続けている経済において、消費者が将来のために貯蓄をしようとすれば、生産者は、投資財の生産のために、理論的に必ずそれに相当する金額の借入が必要である(消費契約曲線における貯蓄部分と、生産者の投資財生産(=購入)のための資金借入部分は理論的に整合しなければならない。)

 このようなこと(需要線と供給線が重なること。需要線と供給線の均衡点(交点)が線形方程式の解として求められないこと。需要(金額)を先に決めれば供給(金額)が自動的に同値として決められ,その逆も成立つこと。)は、次の理由から生じる。

(a)現在の解析対象財貨がY=C+Iと表現されて、財貨価値の総合計とその部分が明確に定義されていること。

(b)解析対象財貨の需要関数を仮定する際において、実際経済から観測された統計値が用いられていること。

(c)近代経済においては、需要(金額)に供給(金額)が常に対応できるので、需要が与えられれば、供給(金額)に再現性があること(実際経済は定常的又は安定的であること)。

(d) 定常経済の下での実際経済における財貨の統計値は、財貨の需要と供給の均衡点を表していること。

 これらの条件下においては、消費関数C(Y)はクズネッツ型であれ、ケインズ型であれ、需要と均衡点の軌跡を表す。I(Y)は、YとC(Y)との差である。あるいは、C(Y)とI(Y)との和がYである。そうであるから、需要関数や供給関数を統計値を用いて正しく表現しようとすればするほど、供給線と需要線は一致しなければならなくなるのである。但し、統計値は、既に失業者が除かれた労働資源の下で実現された所得と財貨の動きを表している。

 従って、次の結論が得られる。均衡理論手法によるケインズ乗数効果式誘導問題に関する限り、意図される総需要線も、実現される総供給線も同一45度線上にあり、我々は、GVAの変化後の新しい均衡点を、条件MPC=定数を維持する限り、それら二つの方程式の解として見つけることはできない。2006921日発見)

 しかしながら、このことが今までの解析過程において、特別な困難性をもたらすものではない。要するに、常に、同時に、有効需要=供給(在庫を含む)である。しかし、今度は、有効需要とはどのように決められるものなのかという新たな問題が生じる[注 この段落の論述は最終的なものではない。何れ再考する。]

 Fig.9-3が正しいことは、以下に述べる論証によっても確認できる。

 Fig.9-1において説明されているように、財貨供給線(45度線)と財貨需要線とが交わり、その差額が超過需要(供給)の状態を表すといったような生産図形状態は、次の理由により、損益分岐点型図においても、時系列型図においても、理論的に存在しない。

(a)  もし、Fig.9-1に示される経済モデルが時系列型の生産図であれば、利益πや固定資本減耗D、賃金W等の個々の項目は、全体Y(最終生産物、又は国民所得)の一部分であり、例えば、Δπ/ΔYは、ΔYの中の1割合であるから、我々はΔπ/ΔY = 0や ΔD/ΔY = 0を仮定することはできない(式(3-R7)を参照のこと)。従って、実現される供給線も、意図されている需要線も、原点(Y=0)を通らねばならない。しかるに、Fig.9-1においては、意図されている需要線は原点を通っていない。従って、Fig.9-1は損益分岐点型であらねばならない。

 本文で利益とは、国民経済計算における営業利益を意味し、経済学における超過利潤を意味しない。損益分岐点型経済モデルにあっては、例えば英文§5, Part 1中のFig.2.5(下図)や、§6, Part 2中のFig.3.13によって自明であるように、経済に利益極大の条件は存在しないから、 利益極大条件式を使うことはできない。このモデルは、通常1年を単位として表現される。従って、失業問題を解析するに当たっては、我々は、時系列型生産図を使うことはできないし損益分岐点型経済モデルを使っても、利益極大条件式を使うことはできない。考えてみれば、失業とは、企業利益(+減価償却費=過去の投資資金回収費)と賃金との間のせめぎあいで起きるものであるから、利益を一定とする条件を仮定してはならないことは当然である。なお、企業は土地投資資金も財貨売上げから回収しようとする。回収は自己資本の増で実現される。[注 この段落の記述には証明が欠けている。近いうちに証明を与える。]

b)  問題は、損益分岐点型生産モデルにおいて、Fig.9-1において説明されているように、意図されている需要線と実現される供給線の差が棚卸資産を示すというような図形の状態が理論的にあり得るかということである。

 全部原価計算損益分岐点図は、Fig.2.5(英文、Part1、§5)に示すように、筆者により始めて提供された。全部原価計算において、利益の極大条件式を適用しない場合は、Fig.2.5をそのまま利用できる。この図において、η(ε)は、製造間接費CF(ε)の内、棚卸資産原価に配賦された純製造間接費配賦額(前期より繰り越された分−来期に繰り越す分)である。図中の直接製造原価には、純棚卸資産原価が既に考慮されている。

Fig.2.5(英文、Part1、§5) 正しい全部原価計算損益分岐点図

 Fig.2.5を使って、意図されている需要に対する第1の生産図と実現される供給に対する第2の生産図を描く。さらに、その二つの図の間の差を表す第3の図を描く。第3の図において、45度線と交差する線は、第1と第2の図における利益の差を表し、それが二つの図の棚卸資産原価の差額を表すというようなことはない。

 全部原価計算損益分岐点図において、仮に利益極大条件式を用いる場合は、第1の図における利益PP(ε)1線と第2の図におけるPP(ε)2線において、二つの線はどちらも45度線と平行であり、DX(ε)+GV(ε)(変動販売一般管理費)は45度線となる。従って、第3の図において、45度線と交わる線は存在しない。従って、如何なる場合でも、Fig.9-2のような説明の状態は起こりえない。この論述に関しては、英文、"The cause of Solomons's error in his break-even chart for absorption costing",§5,Part1 を参照されたい。

 以上の論証より、従来の均衡理論による投資乗数効果式誘導の誤りの原因が明瞭に示された。

9.3 ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)の意義

筆者によるこれまでの解析結果から、次の結論が得られた。

1) 国民所得に対するケインズ投資乗数効果は、その乗数効果式が数学的に誤っているので、存在しない。

2) 定常経済の下、非定常経済の下に関わらず、MPCは経済変動に影響しない。

3) 或る財貨の需要値に対して実現された需要統計値を用いる限り、その意図される需要関数(金額)と実現される供給関数(金額)は、常に一致する。均衡理論により、ケインズ投資乗数効果式に対して正しく誘導すれば、自明の解(与えられた追加需要=その需要額と同値の追加供給などの解)は除き、解析解は不定となる(この文の記述は、後日再検討する。)

国民所得に対する投資乗数効果式の誤り部分を除くと、ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)の根幹は、次の通りである。それらの部分に関して筆者は同意する。

4) 特別な場合を除き(生産設備の壊滅状態など)、総需要(金額)の決定が先で、それが総供給(金額)を決める。その逆ではない。

5) 失業解決のために、公債を公共事業に提供することは、確かにその事業の中の賃金分だけの失業解決には役立つ。但し、公債発行額は増大する。その理由は、次の通りである。公債(= ΔG)による政府投資は、民間投資の落ち込みをカバーする。消費は投資と連動しているので、もし、民間投資落ち込額=政府投資額ならΔY (= ΔG)は一定に保たれる。このとき、消費者による過去の累積貯蓄の一部は、費消に変わる。何故なら、政府投資財の減価償却費は、本質的に売上げによって回収できないからである。しかしながら、その政府支出に含まれる賃金は失業を救済する。このように、借入による政府支出は緊急時には必要であるが、このような政策は長年続けてはならない。

(6) 筆者の見解によれば、製品価格は、損益分岐点図において、水平軸に表される製品需要と鉛直軸に表される生産費用と利益によって、決定される。

7) 筆者の推論によれば、企業による労働の需要(金額)は、企業の最大利益πと財貨需要に対応する生産を保証するための安定雇用を確保できる最低賃金との間のせめぎあいで決定される。その関係を表すものが損益分岐点図である。経済不況下においては、最低企業利益を保持しようとする企業欲求の力の方が労働者の低賃金による離職欲求の力よりも強い。この時に、労働者がその賃金水準を受け入れて離職を望まないにも関わらず、非自発的失業が生じる。

 筆者の理論が正しければ、ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)はどれほどの意義を持つものであろうか。現在、経営における損益分岐点図は誰でも知っている。ケインズ投資乗数効果公式が筆者の解析により誤りであると分った今となっては、ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)は、減価償却費が一定で、製品価格(労働価格を含む)が硬直的である場合においては、企業売上が製品供給数量(労働数量を含む)と利益を決める、又不況下での蓄積民間貯蓄の再投資に当たって、民間投資から政府支出への変換は、その政府支出に含まれる賃金分だけ、失業を救済すると言っているにすぎない。それはその通りである。

 結局、ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)は、彼の理論が出現するまでの100年以上支配的だったSAYの法則に疑問を与える独創的な理論であったという点にあるのではないか。そして、そのことは、確かに経済学史上、革命的であった。

9.4 ケインズ乗数効果式誘導に伴って生じた均衡理論手法への疑問

 ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)は、均衡理論手法と不可分である。何故なら、投資I(Y)に定数を、消費C(Y)にケインズ型消費関数を用いて財貨需要関数を表し、供給関数を45度線として、二つの方程式の解(2線の交点)として、投資乗数効果式を得ているからである。ケインズ理論も、ワルラス一般均衡の価格の自由変化の部分を否定しているのであって、投資乗数効果式誘導の理論基盤は均衡理論である。

 なお、ケインズは、企業需要者に対する需要関数としてI(Y)=定数を仮定し、それに対して経済学者の誰からも疑問や否定が出ていないということは、生産と消費を対象とする一般均衡理論においては、需要関数や生産関数の形は、人間の財貨に対する心の価値観や労働要素と資本財要素の能率的行動を近似して表現するものであればどのような形でもよいとされているのであろうと、筆者は推察し、その認識の下で、ワルラスによる均衡理論を論じている。その理由は、次の通りである。効用理論は、記号変数を用いて、財貨の選好に対して限界効用という人間の感性を理論上の根拠としている。従って、効用理論がいくら数学的に精緻なものであっても、効用理論を実際経済に対して適用するに当たっては、その理論解析結果の確かさは、結局は、実際経済を反映する需要関数と生産関数の仮定如何に左右されるはずであるからである。なお、ワルラスは、当時の学者達の同じ非難に対し、自身の理論に対する数学の役割は経済を表現するための一つの分析方法であると述べてはいるものの、経済理論を究極的には力学における解析方法のレベルまでもっていきたいと思っていたようである。

 均衡理論による通常の誘導結果として得たケインズ投資乗数効果式は誤っているので、均衡理論手法に関して次のような推論が生じる。

(a) ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)の誤りは、均衡理論そのものの論理がおかしいことによるのか。

(b) 均衡理論そのものの論理はおかしくなく、ケインズ有効需要原理(有効需要の原理)の誤りは、単に投資関数増分が一定という、あるいは需要関数にケインズ型消費関数を採用したという仮定の設定に誤りの原因があるのか?

(c) 均衡理論そのものの論理はおかしくないが、ケインズ投資乗数効果式誘導に限っては、何らかの理由で、均衡理論手法を適用してはならないのか?

 (b)に関して考察する。ケインズ投資乗数効果式誘導過程においては、I(Y)=一定と仮定した。この仮定がおかしいのか?少しばかりおかしいが、絶対的なものではない。消費者に対する需要関数C(Y)にケインズ型の消費関数を仮定するとき、生産者間の需要関数I(Y)に対し、I(Y)=[Y−ケインズ型C(Y)]以外のどのような関数形を仮定しても、全ておかしな(正しくない)結果が得られる。その理由は、総供給関数の形は45度線で正しく、総需要関数の形が45度線ではなく、最初から需要関数の表現が誤っているからである。

 Fig.9-3、(a)図に対する矛盾式と正しい式を見ていただきたい。式(3-13-1)では察知できなかった均衡理論によって生じた論理の誤りが明瞭に示されている。

 (a)                      (b)

Fig.9-3 ケインズモデル

矛盾式: 5=Y=3(5に比例する)+2(5に比例しない), 変動比率=3/5,  3=5·(3/5),  5=5·(3/5)+2,  5·(1 - 3/5)=2, 5=Y*=2/(1 - 3/5), 正しい。ΔG=Yの大きさに関係しない変数。 5+ΔG = Y** = (2+ΔG) / (1 - 3/5),  ΔG = ΔG/(1 - 3/5), ΔG=2.5ΔG。   正しくない。変動比率νの測定の原点は、Y=0であることに注意する。

正しい式: 5 =Y* = 2/(1 - 3/5), 正しい。ΔG=Yの大きさに関係しない変数,   5+ΔG = 3+( 2+ΔG) =Y** , ΔG=ΔG, 正しい。   3 = (5+ΔG)·(3/(5+ΔG)) ,変動比率ν=3/(5+ΔG), 5+ΔG =3+( 2+ΔG) =(5+ΔG)·(3/(5+ΔG)) +( 2+ΔG) 。5+ΔG = Y** = ( 2+ΔG)/(1-3/(5+ΔG))。ΔG=ΔG。正しい。変動比率νの測定の原点は、前の均衡の原点、Y=0であることに注意する。損益分岐点式で、ΔG (定数型変数)= 0,1,2,・・・と増やしていくと、損益分岐点均衡のイメージがつかめる。常に、入力(金額)ΔG=出力(金額)ΔGとなっている。上の矛盾式では、入力ΔG(金額)=出力ΔG(金額)となっていない。つまり、もしΔGの増分が図(a)のF成分のみでなされるのならば、ΔG増分後のtanθ=3/(5+ΔG)となっている。  

 最初の均衡点における変動比率は、ν=3/5である。政府需要Gを固定費型変数とするとき、ΔG増分による新しい均衡後の変動比率は、ν=3/(5+ΔG)となる。即ち、ΔG増分の過程で、変動比率νはGの非線形関数であり、需要関数は非線形関数である。従って、新しい均衡点を決定する価格p×数量nで表された需要・供給均衡恒等式(連立方程式)は、pとnのどちらを定数(パラメーター)と仮定しても、非線形連立方程式となる。

 連立方程式の或る項の係数に或る時点の変動比率を含み、新しい均衡点で変動比率が変わっているべき項が存在する連立方程式は、単純な方法では解けない。ケインズ均衡問題において解が簡単に求まってしまったのは、ΔG増分過程の中に、勝手にΔC(Yの大きさに比例する変数)が飛び込んできて、前の変動比率ν=3/5のままで損益分岐点均衡が生じ、その解を均衡解としたからである。ν=3/5のままであるこの解は、等号が成立していないという意味で、解自体が誤りである(上記、矛盾式のΔG=2.5ΔG参照のこと)。

 何故、ΔC飛び込んできたのか?それは経済の中に、実際にMPCが存在するからである。それでは、MPCが財貨増分解析に関与してもよいのではないか?MPCはC(Y)I(Y)とを連結させて、互いに自由な動きを制限するという役割を経済の中で果たしているのである。そのとき、経済の動きはΔY(あるいは、ΔI、ΔC)の動き一つで表されることになり、MPCが解析の中からは消えてしまう。

 全財貨の生産方法は、損益分岐点図型(斜線と平行線からなる45度線図)である。損益分岐点図には、固定費と変動費からなる生産費用が存在し、利益極大原理は短期でも長期でも存在しない。筆者の推察によると、財貨のみの需要と財貨のみの供給の均衡点(需要先導による両者の一致点)から労働数量が定まり、非自発的失業が存在するというケインズの論理は、労働価格の均衡変化や硬直性とは無関係に、ほぼ間違いなく正しい。しかしながら、投資乗数効果式は誤っている。[注 この段落の記述には証明が欠けている。何れ証明を与える。]

 ワルラス一般均衡理論とは、労働や資本の最大能率、又は最少費用の働きをもって供給された、即ち消費者の初期保有量とされた財貨は、財貨や生産要素の価格が変化することにより、消費者の財貨に対する消費の好みが最適に果たされるように各消費者に分配されるという理論である。

 ケインズとワルラスの理論の内、一方が正しければ他方は誤っているだろう。ケインズ理論は、少なくともそれが投資乗数効果式を伴う限りは、筆者により誤りであると結論づけられた。それでは、残ったワルラス理論の方が正しいのだろうか。

 ワルラス一般均衡理論において、消費限界効用(+生産利益極大原理)理論は不朽の功績である。しかしながら、実際経済との比較から、ワルラス理論は長年に渡って非難を受けている。その一方で、ワルラス理論は発展し続け、現在では精緻の極みに達している。

 ワルラス一般均衡理論の解析過程を検討する。同理論においても、会計の意味での営業利益は定義できる。消費財貨に対する限界効用理論と、生産時において、労働力投入に対する「規模に関しての収穫逓減の法則」を受け入れる。経営者は企業利益(=企業成長)を最大化しようと意図していることを認める。利益極大原理から導かれる2財の限界変形率は、確かに最適消費計画より導かれる2財の限界代替率に等しい。

 一般均衡ワルラス法則によれば、もし或る市場(例えば、非自発的失業労働力)において、労働力の超過供給(金額)があれば、必ずそれに見合う別の何かの超過需要(例えば、財貨)が存在する。どこにも欠陥は見つからない。

 それでは、どうしてワルラス理論は実際経済を表していないと非難を受けているのであろうか。要するに、歴史上の学者は、労働者が最大能率をもって働き、経営者が最大利益を追求して経営していても、実際経済では、現に非自発的失業は存在するのだから、ケインズ理論の方がワルラス理論より正しそうだと思えるのに、次の二つの完璧な数学的論理で保証されたワルラス理論体系を崩せないのである。一つは、レオンチェフ産業連関表概念で裏付けられたワルラス法則という論理である。もう一つは、消費効用と生産能率に対する最適解を求めるために使われる関数の条件付極値解析手法という論理である。なお、余暇と実働の選択、解の収束、半自給自足経済、その他の問題等は、ワルラス理論においては二次的な問題である。

 ワルラス理論は、ワルラス理論の欠陥を誤りとして数学的に反証明する試みを、130年間近く、ことごとく退けてきた。失業問題解析におけるワルラス理論の反証明は、難問中の難問である。ワルラスより前には、数学的な解析対象としての経済学は存在しなかったのであるから、数学的経済学始まって以来の難問である。しかしながら、それができなければ、筆者の予想は単なる想像であるとみなされるし、ケインズの失業解析問題に対する歴史的功績は無に帰してしまう。

 経済学の最大目的は、失業発生の回避策と解決策の提供であると筆者は考える。非自発的失業者が存在している中での如何なる形の経済的成功もない。経済成長理論も、金融理論も、財政理論も、全て目指すところは、非自発的失業の防止1点にある。競争に勝つ方法を提供することはできる。競争に負けた人を救う方法を提供することもできる。しかしながら、競争の場に入れない人の仕事を作ることは何と難しいことか。それは、現代産業人類が自の為す価値と他の為す価値とを交換し合って生存するという専業的分業交換経済社会で生きるように進化し続けているからだ。

 筆者は、この均衡理論という論理の場までやって来て、ケインズ投資乗数効果式は、ΔG=2.5ΔG(又は、1=2.5)という誤った式を与える全く無意味な式であるということがやっと分った。ということは、この直前まで、筆者はケインズ投資乗数効果式に多少の経済学的意義はあるものとみなしながら、この論文を記述してきたが、その論述自体に多少の誤りを含んでいるかもしれないという疑いが生じた。しかしながら、今更最初から全文を書き換えるわけにもいかない。読者も、筆者がこの最後の結論から記述を始めたら、ケインズ投資乗数効果式の誤りを理解することは困難だろう。筆者と同じ思考の道筋をたどりながら、この均衡理論という場に到り、今度は、このような誤った結論を生じさせた均衡理論という論理と格闘するしかない。

 9.4のテーマである均衡理論そのものについての論述は、未完である。このテーマは、レオン・ワルラス(1834-1910)、他によって創始され、多数の著名な学者達により発展せられた、現在のミクロ経済学、いや生産と消費分野に関する現代経済学における最も基本的な理論基盤に関することであり、筆者も容易に結論的な否定証明論述をすることはできない。

 未完の部分(ワルラス理論における欠陥部分の指摘と修正)とさらに別の分野の研究を済ませないで、 ケインズ理論や新古典派理論(Neoclassical economics)と対比しながら失業問題解析を論述することは、筆者は、多分できないだろうと考える。 そして、その研究には、筆者の考える経済運行理論と筆者が創始した標準原価計算における管理総利益図理論が関係する。追加:CF行列解析法が加わる(2013年6月)。

 ワルラス理論中の欠陥論理部分を指摘除去し、筆者による新しい理論構造を核にして、ワルラス理論とケインズ理論の有効部分を組み入れた新しい理論体系を筆者は近いうちに提供したい。それまで、本論文のテーマに関しては一先ず一休止する。

 第3章、§1、「標準原価計算を採用する企業における利益計画」と§2、「人間の英知作用と地球事象作用を解析するための生産理論」において、部分的ではあるが、ワルラス理論とケインズ理論における誤りを示したが、統一理論の創出については未解決である(2009年6月)。

2006/10/17 発表

2007/5/8 再構成

2009/4/23些細な修正

 

(c) Dec. 2003, Yuichiro Hayashi