あなたに会いたい

《5》

 壱哉の家から学校までは、そう遠い訳ではない。
 住宅街や、オフィス街を抜けて行けばすぐだった。
 しかし。
 路地を歩けば猫だの犬だのにまとわりつかれ、ビルの傍を歩けば看板だの鉄骨だのが落ちてくる。
「‥‥まぁ、これも目的地に近付いていると言う事だろうな」
 行く先々に妨害が仕掛けられていると言う事は、学校、と言う選択が間違っていない証拠だろう。
 悪魔のくせに嘘のつけない奴、と苦笑していられたのも最初のうちだけだった。
「こんなに派手な事をして、未来が変わったらどうするんだ?!」
 商店の前を歩けばショーケースや水槽が割れ、住宅街を歩けばバス停だの家の窓から炎が吹き出す。
 果ては、指が僅かに触れただけで巨大なビルが倒壊したとなれば、頭を抱えたくもなる。
 こんなに派手に建物が壊れて、未来のこの町は大丈夫なのだろうか?
 あったはずの建物が突然消滅してしまったら、とんでもない事になるのではないか。
 しかしネピリムも、時空を操る事が出来るのだから、それなりに危険性も知っているだろう。
 ならば、そうそう大きな影響のある事はしないのではないか。
 ‥‥‥と、思いたい。
 そう言えば、と壱哉はふと、思い至る。
 これらは全部、自分がターゲット達に仕掛けたものではないか。
 吉岡と共に、散々ターゲット達に仕掛けた裏工作を、まさか我が身で体験する羽目になるとは思わなかった。
 実際、体験してみて、不条理なトラブルが立て続けに降りかかるのが、いかに心身にダメージになるかを身をもって思い知った壱哉である。
 今更ながら、忸怩たる後悔と罪悪感が湧き上がる。
 同時に、それらも含めて、全て笑って許してくれた樋口に、改めて胸が熱くなる。
 本当は、自分は、樋口に我が儘など言える立場ではないのだ。
 許されて、距離が近付くに連れ、そんな事も忘れてしまっていた。
 戻ったら、まず何よりも、謝らなければ。
 あぁ、それから、他の二人にも。
 樋口を陥れる傍ら、新と山口にも裏工作は仕掛けていた。
 全てが終わった後、罪滅ぼし代わりに、壱哉は名を伏せて二人を援助していた。
 樋口の所に出入りするようになって、時折、顔を合わせる事もあった。
 けれど、何となく言う機会がつかめなくて、あの二人には、全て壱哉の企みだった事は話していなかった。
 胸の奥を刺す痛みを自覚して、いつかは話さなければとは思っていたのだが。
 今度こそ、彼等にも謝らなければならない。
 その為にも、必ず、現代へと戻らなければ。
 壱哉は、改めてそう、心に誓った。


「‥‥‥やっと‥‥来たぞ‥‥‥ネピリム‥‥‥」
 肩を上下させ、よれよれになった壱哉が学校の裏門に辿り着いた時、既に辺りは暗くなっていた。
 どこかの親分だか組長だかに間違えられ、追いかけて来る人間達を必死に振り切って来たのだ。
 学校まで後一歩の所で追いかけ回され、結局、辺りを一周する羽目になってしまった。
 数々の苦難を物語るように、上質なスーツはあちこち埃で汚れ、かぎ裂きになっている場所すらあった。
「‥‥今度、俺の前に顔を見せたら、ただではすまさんからな‥‥‥」
 校舎を見上げる壱哉の顔は、どこか鬼気迫るような迫力があった。
 ここまで、散々な目に遭ったのが余程こたえたようだ。
 見上げた学校には既に灯りはなく、おそらく残っている人間はいない。
 しかし、と壱哉は辺りを見回した。
 塀を乗り越える自体は難しくはないが、暗いとは言え、こんなに人通りが多い場所で不法侵入したら変質者ではないか。
 それに、夜、警備員がいたかどうかは、覚えていなかった。
 と、その時。
「あれ?お兄さん?」
 聞き覚えのある高い声に、壱哉は振り返った。
 見れば、そこにいたのは樋口だった。
 足元にいる小さな犬は‥‥サンダー、なのだろう。
 夜に散歩をしていて、偶然通り掛かったと言う所か。
「こんなとこでなに‥‥あ!もしかして、ここがその場所?!」
 駆け寄ってきた樋口が、大きな目を更に丸くして校舎を見上げた。
「そっか‥‥学校だったんだ」
 樋口は、大きなため息をついた。
 ふと、足元に気配を感じ、壱哉は目を落とす。
 すると、サンダーが、スラックスに前足を掛けて、伸びをするように見上げて来ていた。
「こら!ダメだろ、サンダー!」
 慌てて、樋口が叱り付ける。
「いや。いい」
 壱哉は、屈み込んでサンダーと視線を合わせる。
 壱哉の膝に前足を掛けたサンダーは、つぶらな瞳でじっと見詰めてきた。
 真っ直ぐ見詰めてくる瞳は、どこか嬉しそうに見えた。
 動物故の、純粋な瞳に、あの雨の日の事を思い出す。
 そして‥‥同時に、樋口と共に看取ったあの時の事も思い出し、柄にもなく鼻の奥が熱くなる。
「珍しいな。サンダーが、こんなにすぐなつくなんて」
 感心したような言葉に、壱哉は樋口に視線を移した。
 今は、樋口もしゃがみ込み、珍しそうに壱哉とサンダーを見比べている。
「こいつ、人なつっこいけど、初めての人にはこんなになつかないんだ。ほえたりはしないけど、なんか様子を見てるみたいでさ。なのに、お兄さんのことは、知ってる人みたいになついてる。これって、珍しいんだぜ」
 自分まで嬉しそうな樋口から、サンダーに視線を戻す。
 サンダーには、全部、判っているのだろうか。
 時間を超えて、ここにいるのが未来の壱哉である事が。
 そっと、頭を撫でてやると、サンダーは嬉しそうに鳴き声を上げた。
 大きく振られているふさふさとした尻尾は、壱哉の記憶に残っているものより随分小さかった。
 十年後、この犬が大きくなり、年老いて、静かに息を引き取る時の光景を記憶として持っている不思議さに、壱哉は目を細めた。
「この犬、さ。黒崎が最初に、拾ったんだ。雨の日に、ぬれてるのを傘もささないで胸の所に入れてて。でも、黒崎のとこでは飼えないみたいだから、俺が引き取ることにしたんだよ」
 壱哉の脳裏に、あの日の会話が、まるで昨日の事のように蘇る。
 思えば、樋口との事はあの日が始まりだった。
 あれから、色々な事があって、そして、今がある。
 全く意識していなかった、しかし自分にとって本当に大切な存在だった人。
 樋口の無邪気な笑顔が、未来のそれと重なる。
 戻らなければ。
 樋口のためにも、自分のためにも。


←BACK

NEXT→

top


今回、引っ張った割に短かったですが。これから色々起こってくるので、ここらあたりで切っとこうかなぁと。
とりあえず、壱哉様、そっくり自分のやった事返されてます。こうでもされないと、壱哉様、自分のしでかした事に自覚ないですからねぇ。うろたえる壱哉様を妄想するだけで楽しいです(笑)。