あなたに会いたい

《3》

 壱哉は、樋口に連れられて商店街や裏通りを回った。
 遠い記憶の中にある人々や建物に、こそばゆくも複雑な感傷を覚えつつ、壱哉は樋口が案内するまま、懐かしい思い出の中を歩いた。
 三時を回る頃、壱哉と樋口は、公園のベンチで一休みしていた。
「はー‥‥やっぱ、ダメかぁ」
 あちこちを回ったのだが、手掛かりは全くなかった。
 樋口は、我が事のように深いため息をつき、肩を落とした。
「もう、いい。これだけ探してくれたんだ。もう、充分だ」
「でも‥‥‥」
「お前だって、もう帰らなければならない時間だろう。あまり遅くなると、本当に怒られるぞ」
 壱哉の言葉は図星だったのか、樋口は下を向いた。
「俺なら、大丈夫だ。お前のおかげで、大分、絞り込まれて来たからな。後は、一人でも充分、探せる」
 それでも、心配そうな樋口に、壱哉は笑って見せた。
 すると、何故か樋口は、少し赤くなって俯いた。
「なんか‥‥不思議だ。お兄さんとは初めて会うのに、なんか、前から知ってる気がする」
 ある意味、それはそうだろう、と壱哉は内心で苦笑した。
「黒崎が大人になったら、お兄さんみたいになるのかな‥‥‥」
 見上げてくる、真っ直ぐな視線に、壱哉は何と答えればいいのか判らない。
 と、樋口は、酷く真剣な表情で口を開いた。
「あの‥‥‥ひとつだけ、きいてもいいかな?」
「なんだ?」
「お兄さん、黒崎の親せきだと、わかるかな。あのさ‥‥‥黒崎って、お母さんしかいないんだよね?お父さんって、亡くなったかなんかなのかな?」
 壱哉は、一瞬、息を詰めていた。
 あの、どす黒い、陰鬱な怒りと憎しみの混じり合った不快感が蘇る。
 父の話は大嫌いだ。
 以前のように感情的になる事はなくなったものの、未だに、父の事が話題になると、暗い感情が生まれるのは抑えきれなかった。
「‥‥‥いや。死んではいないし、別れてもいない。事情があって、一緒に暮らしていないだけだ」
 感情を押し殺すのに、壱哉の口調は平坦なものになっていたが、樋口は気付かなかったようだ。
「‥‥‥そうなのか‥‥やっぱ、そんなにうまくはいかないよな‥‥‥」」
 深いため息をついて肩を落とす樋口が、どうして落ち込むのか判らない。
「どうしてそんな事を訊くんだ?」
 壱哉の言葉に、顔を上げた樋口は真っ赤になった。
 その反応に、壱哉の方が戸惑う。
「‥‥‥絶対、笑わないでくれる?」
 真っ赤になったまま、樋口は上目遣いに壱哉を伺う。
「あぁ‥‥」
 酷く真剣な口調に、壱哉の方が気圧される。
 壱哉が頷くと、樋口は、酷く言いづらそうにしながらも、口を開いた。
「あ‥‥あのさ。俺んち、おふくろが死んで、親父だけなんだ。で、黒崎の所がお母さんだけなら‥‥‥ほら、あるだろ、いろいろ」
「??」
 全く意味が判らない壱哉に、樋口は、耳まで真っ赤にしながら続ける。
「だからさ。二人がもし、再婚とかしたら‥‥俺と黒崎は、兄弟ってことになるだろ?そしたら、一緒に暮らして、いつも一緒にいられるかな、とか思ったんだよ」
「‥‥‥あぁ」
 ようやく、樋口の言わんとする事に思い至り、壱哉は声を上げた。
 以前、店の壁に貼られていた写真を見た時に交わした会話を思い出す。
 あの時、子どもの頃の妄想だとか言って結局教えてくれなかったのは、この事だったのか。
 確かに、片親同士だから再婚すれば兄弟になれる、など、子どもの短絡的な思考だろう。
 けれど、あの頃、樋口はそんなにも、自分に好意を持ってくれていたのか。
 それがとても嬉しくて、驚きだった。
「‥‥‥お前、黒崎壱哉が本当に好きなんだな」
 壱哉は、思わずそう言ってしまった。
 その言葉に、樋口はきょとんとした顔になる。
 失言だった事に気付いた壱哉が、取り繕おうと口を開きかけた時。
「うん。俺、黒崎が大好きだよ。すごく、大切な友達なんだ」
 何の陰りも、含みもない真っ直ぐな笑顔と言葉。
―――お前は、ずっと、変わらないんだな‥‥‥。
 樋口の真っ直ぐな好意と真摯な言葉は、この頃から、何も変わってはいなかったのだ。
 ただ、壱哉が、それに気付かなかった。
 すぐ近くにあったのに、全く見えていなかった。
 こんなにも前から、ずっと変わらない好意を向けて来てくれた樋口。
 そんな彼に、壱哉は一体何をしたのか。
 樋口はもういい、と言ってくれたけれど、十年ぶりに再会した自分がした事は、何をしても償えないほどの罪だったと、改めて思う。
「‥‥‥お兄さん?」
 ふと、気付けば、樋口の大きな瞳が心配そうに見上げて来ていた。
「なんか、いやなことでも思い出したのか?」
 気遣う視線に、壱哉は苦笑した。
「なんでもない。俺は、本当に馬鹿だと思っていただけだ」
「???」
 意味が判らないのだろう、樋口は首を傾げた。
「独り言だ。気にするな」
 壱哉は、強いて笑って見せた。
「それより、一つだけ、訊きたい事があるんだ」
「なに?」
 樋口が、怪訝そうながら、見上げて来た。
 過去も、未来も変わらない、真っ直ぐな視線を眩しく感じながら、壱哉は口を開いた。
「‥‥例えば、だ。誰よりも、何よりも大切な友人と、喧嘩をしてしまったら‥‥お前なら、どうする?」
 自分は一体、何を言っているのだろう、と思いつつ、壱哉は止まらなかった。
 正しい答えなど当然、判っている。
 結局、それを実行出来ないでいるだけのだ。
 壱哉の問いに、樋口は少し驚いたように目を見開いた。
「すぐ、あやまらなきゃならないと思うよ。けど‥‥‥」
 と、樋口は目を伏せる。
「結構、言いづらかったり、意地になっちゃったりして、できないことってあるんだよな‥‥‥」
 樋口も、やはりそうなのか。
 壱哉は、少々意外な思いで、樋口を見詰めた。
 正直で、真っ直ぐな樋口にそんな事はないと思っていた。
「‥‥でも、さ」
 顔を上げ、壱哉を見上げた樋口の表情に、壱哉は胸を衝かれた。
「先のことって、わかんないだろ?先にのばしてるうち、結局、言えないで終わっちゃうかもしれない。そしたら‥‥‥すごく、後悔すると思うんだ」
「‥‥‥‥‥」
 樋口は、母親を小さい頃に亡くしている。
 あまり覚えていないと言っていたが、何か、深い後悔が記憶に残っているのだろうか。
 どこか悲しげで、寂しげで、切なそうにも見える表情。
 学生時代の記憶の中の樋口は、いつも、明るく元気な様子をしていた。
 けれど、樋口も、壱哉とは違う形で、辛い思いを味わってきたのだろう。
 ただ、壱哉がそれに全く気付かなかっただけで。
「‥‥なんて、さ。わかってるんだけど、やっぱり、本当に言いたいことって、なかなか言えないんだよな‥‥‥」
 樋口は、照れ笑いのように頭を掻いた。
「卒業までには、言おうと思ってるんだけどさ‥‥‥」
 その言葉は、本当に小さな呟きで。
 何の事だろう、と壱哉は首を傾げる。
 しかし、これは失言だったのか、口走った事に気付いた樋口は、誤魔化すように愛想笑いを向けてくる。
 ふと、時計に目をやると、もう四時になろうとしていた。
「そろそろ、帰った方がいいな。送って行かなくていいのか?」
 壱哉の言葉に、樋口は笑った。
「家、そんなに遠くないから、大丈夫だよ。お兄さんこそ、時間、ないんだろ?」
 そう言われれば、確かにその通りだった。
 こんな所で時間を食っている暇などないのに、樋口と別れがたくて、つい、話し込んでしまった。
「あぁ‥‥そうだな」
 壱哉は、思い切るように、ベンチから立ち上がった。
「じゃあな。世話になった」
 多分、この世界では二度と会う事はないだろう。
 そう続けそうになった言葉を、壱哉は飲み込んだ。
 どう転ぶにせよ、この心優しい少年に、いらぬ心配をかけたくなかった。
 そんな、言葉にしなかった言葉が聞こえたかのように、樋口は、どこか不安そうな顔で壱哉を見上げてきた。
「心配するな。ほら、お前が帰らないと、俺も安心して行けないだろう?」
「うん‥‥‥」
 不承不承、樋口は立ち上がった。
「ちょっとの時間だったけど、楽しかった。役に立てなくてゴメン」
 律儀に頭を下げる樋口に、壱哉は何となく、胸に暖かいものを感じる。
「俺も、楽しかった。それに、お前のおかげで大分絞り込めて来た。感謝している」
 真顔で礼を言われ、樋口は少し赤くなった。
「そんなこと‥‥俺、ほんとに、何もしてないし」
 居心地が悪そうにそわそわする樋口に、壱哉は苦笑した。
「いや。本当に、助かったよ」
 重ねて言われ、樋口は、耳まで真っ赤になる。
「あっ、えっと、俺、一応帰るけど、なんかあったら、すぐ手伝うから!なんでも言ってもらっていいから!」
 顔を真っ赤にしながら言う、樋口は半ば以上、何を言っているかわかってないに違いない。
 大きく手を振って、樋口は元気良く駆けていった。


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元々この話を思いつくきっかけは、追加エピソードの、樋口が壁に家族の写真を貼ってたあれで、問い詰める壱哉に当然折れて教えてくれるかなと思ったのに、結局教えてくれなかった事からでした。
壱哉様に知らせてあげたいなぁと思ったんですが、後から樋口が言うはないだろうと。なら、昔の、実際妄想してた頃の樋口に言わせるか?と思い立ち。そう言えば、前に、タイムスリップかなんかで壱哉様がちゅうひぐに会うネタとかを話した事を思い出し。でもって、そう言えばウチは他所様と違って喧嘩した事ないなぁと思い出し。
‥‥‥そんな事を色々とひねくり回してるうちにこんな話になりました。
タイムスリップネタとか、私がサルのよーにやりこんだ某RPG最新作の影響受けまくりだったり。