あなたに会いたい
《2》
「リミットは深夜、などと言って、もうかなり時間が経っているじゃないか!」 壱哉の腕時計はまだ十時頃だが、公園の時計は既に一時半を指している。 悪魔にフェアを求めるのは筋違いなのだろうが、時間が切られている状況で、これは反則だと思う。 忌々しげに舌打ちした壱哉は、歩き出した。 闇雲に探しても見付かる可能性は低いだろうが、このまま手を拱いていても事態は好転しない。 公園を過ぎ、ブロック塀の角を曲がろうとした時。 「‥‥‥!」 「うわっ!」 出会い頭にぶつかりかけて、壱哉は思わず、身体を避けた。 相手の小さな影は、避けようとしてバランスを崩し、尻餅をついてしまう。 「いってぇ〜」 少し涙目になって尻をさすっているのは、学生服を着た子どもだった。 その顔を見た壱哉は、固まった。 「お前、崇‥いや、樋口、か‥‥?」 壱哉の言葉に、子どもは警戒した様子になる。 「なんで俺の名前‥‥‥」 見上げて来た表情が、不思議そうなものに変わった。 「もしかして‥‥お兄さん、黒崎の親せき、とか?」 その口調も、声も、顔も、記憶の中にある学生時代の樋口のそれだった。 「‥‥まぁ、そんなものだ」 とりあえず、無難な答えを選ぶ。 「やっぱりそうなんだ!にてるから、すぐわかった!」 にこにこと、樋口は壱哉を見上げてくる。 どうやらここは、過去の世界らしい。 そう思えば、高層ビルが少ない事や、見覚えのある建物などが新しい事も納得が行く。 念のため、樋口に今の年代を訊いてみると、案の定、壱哉が中学三年生の春の頃だった。 超常的な現象など、あまり信じる方ではない壱哉だが、少なくとも、この現実は受け入れるしかない。 そもそも、あの非現実的な悪魔がした事だ。 何が起こっても不思議はない気がする。 「お兄さん、俺のこと、黒崎から聞いたんだ?」 公園に場所を移すと、樋口は、まるで旧知の友達のように話しかけてくる。 お人好しの樋口らしいのは確かだが、少しは警戒心を持て、とも思う。 相手が、何か良からぬ事を考えて話を合わせて来たら、簡単に引っ掛かってしまうのではないか。 「お前、知らない奴と話をするな、と教わらなかったのか?」 ため息混じりに言ってみると、樋口はきょとんとした顔になる。 「なんで?黒崎の親せきだろ?だったら、ぜんぜん知らない人じゃないし」 「‥‥‥‥‥」 「そうだ、お兄さん、名前なんて言うの?俺は、崇文だけど‥‥って、俺の名前はもう知ってるのか」 名前、と訊かれて、壱哉はとっさに詰まる。 「‥‥‥一也、だ」 とっさに口にした名に、我ながら芸がないと思う。 「一也さん、か。黒崎の名前とにてるんだな。やっぱ、親せきだから?」 前にもどこかで聞いたような言葉に、壱哉は苦笑した。 「そんなところだな」 「一也さん‥‥って、やっぱ、呼びにくいや。お兄さん、黒崎に会いに来たの?」 『その世界の『自分』に会うと、どちらかが消えてしまうよ』 樋口の問いに、ネピリムの言葉が蘇る。 未来から来た『黒崎壱哉』が過去の世界の自分に会ってしまったら、何が起こるのか。 SFだのに詳しくない壱哉でも、朧気に、その危険性は想像がつく。 「いや‥‥色々あってな。俺は、あいつに会っちゃいけないんだ」 そう言うと、樋口は、何を想像したのか、酷く辛そうな顔をした。 「‥‥‥そうなんだ‥‥‥」 そんな樋口の顔を見ると、壱哉まで何となく辛くなる。 「お前がそんな顔をする事はない。気にするな」 「でも‥‥‥」 「そう言えば、今日、何か変なものは見なかったか?例えば‥‥何か、見えないレンズのようなもので景色が歪んで見える、とか」 話を逸らすついでに、壱哉は訊いてみる。 「え‥っと‥‥ゴメン、たぶん、見てない」 樋口は、済まなそうに下を向いた。 「そうか‥‥‥」 もとより、こんなに簡単に『歪み』が見付かるとは思っていない。 これは、やはり自力で探すしかなさそうだった。 ひとつ、息をついて壱哉は立ち上がった。 「あれ?お兄さん‥‥もう行くの?」 少しだけ残念そうに、樋口が見上げて来た。 「あぁ。夜までに、探さなきゃならんものがあるんでな」 「それって、今言ってた、ゆがみ、って言うやつ?」 「そうだ」 信じてはもらえない答えだと自分でも思ったが、嘘をついても仕方がない。 「じゃあ、俺も手伝うよ!」 樋口は、勢いよく椅子から飛び降りた。 「‥‥‥本気か?」 歪み、などと言う曖昧なものを、広いこの町から探さねばならない事を、樋口は本当に判っているのだろうか? しかし、そんな壱哉の視線に、樋口は悪戯っぽい表情で笑った。 「どうせ、家に帰っても親父の手伝いさせられるだけだし。だったら、お兄さんの手伝いしたほうがいいよ」 そんな口調や顔付きは、当たり前の事ながら、記憶の中にある学生時代のそれで。 この樋口は、そう遠くない将来訪れる父の死も、あんなに嫌がっていた薔薇の育種家となる事も、何も知らずにいるのだ。 目の前にいる人物の将来を『記憶』として持っている事は、不思議な感覚だった。 本来、ここにいてはならない自分が樋口とあまり長く接触しているのは良くないのだろう。 そう思いつつも、壱哉は、樋口と離れがたい気がしていた。 学生時代の樋口の姿は、それ程に、懐かしかった。 「‥‥そうだな。お前の方がこの町を知っているだろうし。それに、俺は黒崎壱哉には会えないから、お前が先にあいつを見つけて教えてくれれば助かる」 「んじゃ、決まり!」 樋口は、満面の笑みを浮かべた。 十年前も、本当に、この陰りのない笑顔は変わらないと思った。 同時に、今の――いや、未来の世界の樋口と喧嘩をした事も思い出し、胸の奥が痛むのを自覚する。 樋口は、今どうしているのだろう。 自分は‥‥‥また、樋口の所へ帰れるのだろうか。 思いに耽った壱哉は、樋口の声で我に返った。 「じゃあ、とりあえず商店街に行こうぜ。駄菓子屋のおばさんにきけば、変なものがあったら教えてくれると思うし」 「あぁ‥‥」 答えも待たずに歩き始める樋口に、壱哉は慌てて続いた。 そう言えば、学生時代も、樋口は、壱哉をどこかに誘う時など、こうして先に立っていた。 生まれて初めて駄菓子屋に足を踏み入れたのも、初めて買い食いをしたのも、樋口に誘われてだった。 そう何度もあった訳ではないが、学校帰り、親の目を盗んで何かを食べる、と言う行為自体に、密かな喜びを覚えたものだ。 そして、樋口と過ごす時間は、何となく落ち着く、満たされた時間だった。 当時の自分は、そんなにはっきりと自覚していた訳ではなかったが。 そんな、いくつもの思い出を、懐かしく思い出す事が出来るのは、樋口のおかげなのだと思う。 十年ぶりに樋口と会うまでは、学生時代も含め、殆どが、思い出したくもない記憶になっていた。 そんな記憶を塗り替えてくれたのだから、本当に、樋口は自分にとって、過去も含めた『救い』になっていたのだ――。 そんな事を考えると、改めて、樋口のいる『現代』に帰りたいと強く思った。 複雑な壱哉の内心など知らぬげに、樋口は歩きながら、色々な事を喋った。 街の事、学校の事、そして、壱哉の事。 まさか目の前にいるのが当人だとは知らない樋口は、壱哉がどんなに凄いのかを嬉しそうに説明する。 成績優秀だとか、スポーツ万能だとか、実は女子生徒に物凄く人気があるとか。 「なんか、近寄りがたい感じもするんだけどさ、本当はすごく優しくて、いい奴なんだよ」 あまりにも手放しで褒められて、壱哉はこそばゆくも照れくさい。 こんな風に、真っ直ぐに好意や感情を露わにするのは子どもの頃からだったのか。 自分の子ども時代を振り返り、壱哉は苦笑した。 そう言えば、自分は昔から、感情を見せず、素直ではない子どもだった。 悪意にはとても敏感だったが、好意には本当に疎かった。 あの頃、樋口の笑顔に妙に居心地が悪かったのは、この好意をうまく理解出来なかったからだろう。 もしあの頃、樋口の好意をもっと素直に受け入れ、もっと多くの言葉を交わしていたら、自分は少しは変わっていたろうか。 そう考えて、壱哉は苦笑した。 そんな仮定は意味がない。 嫌な出来事も、消し去ってしまいたい過去もたくさんあったけれど、でも、それらの積み重ねで今の樋口と自分の関係がある。 そう、思った。 |
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中学生の樋口が、妙に子どもっぽくなってしまいました。いくら何でもここまでガキじゃないたろうとは思うのですが。‥‥ショタ属性のせいです。子どもを書くと全部年齢が下がってしまうのですよ。
でも、中学生の樋口って書きづらいです。口調がよくわからん。大人っぽくはない気がするんだけど。老けてた壱哉様と違って。
なので、読んでてイメージ違ってたらごめんなさい(と先に謝っておこう)。