【題意】
晩秋の一夜、秦淮河に舟泊まりした折の感慨を賦した。
【詩意】
靄が寒々とした秦淮の川面を覆い、月明かりは砂を包み込むように照らしている
今宵私は秦淮に泊している。川沿いには料亭が建ち並んでいる
女は自分の歌っている曲を知るまい。かつてこの地に繁栄した亡国の歌ということを
河を隔てた私の元へ、さんざめきに混じって「玉樹後庭花」の唄が聞こえてくる
【語釈】
秦淮=江蘇省西南部に発し、南京(陳代は建康、唐代は金陵)市内を流れ長江に注ぐ河。
秦代に淮水に通じる運河として造られた為、こう呼ばれるという。
商女=酒楼の歌姫。妓女。
後庭花=六朝最後の陳の皇帝・陳叔宝が自ら作詞作曲したといわれる「玉樹後庭花」。
「玉樹後庭花」の詩中に「玉樹後庭花 花開くも復久しからず」とあり、世の人々は陳国の
滅亡を予感したといわれる。
陳叔宝は文才に恵まれていたが、詩歌管弦や酒宴に溺れ、政治を顧みなかった。
その為、隋の軍勢が攻め寄せて来ても為す術を知らず、陳は滅ぼされてしまう。
【鑑賞】
「玉樹後庭花」は陳の繁栄と滅亡を象徴する歌である。その歌を何も知らない妓女達は
無邪気に歌っている。陳の滅亡は杜牧の時代から250年程前のことであった。
杜牧はその平和な光景の中に栄枯盛衰の無常を感じ、更には唐の行く末を見ていた
のかもしれない。
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