月夜梅花を見る(菅原道真)
 

 【題意】

 月の夜に梅の花を見る。

 菅原道真といえば「飛梅」を思い起こすが、この詩は11歳の時の作で、

 道真が初めて詠んだ詩と伝わる。

 【詩意】

 月の光は晴れた日の雪のように淡く光り

 梅の花は夜空の星のようである

 美しく光り輝く月が天をめぐり

 庭の上の星々は芳しい香りを漂わせている

 【語釈】

 金鏡=月。

 菅原道真(すがわらのみちざね)  

 ※作者については解説の栞・秋の訪れ(一)で詳述しています。

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芳野懐古(梁川星巌)
 

 【題意】

 吉野にて南朝を偲ぶ。

 【詩意】

 昔より今日に至るまでのことは まるで夢のように茫漠としている

 陵墓は石の馬が立ち尽くすばかり 荒れるにまかせたままである

 春は桜の季節となり 山は一面白い花に覆われて

 南朝の帝の御魂も気高く香るように思われる

 梁川星巌(やながわせいがん)  

 1789〜1858年。江戸後期の漢詩人。美濃国(現在の岐阜県)の人。名は孟緯、字は公図。

 家は代々農業を生業とする豊かな豪農であった。

 18歳の時、家督を弟に譲り、江戸に遊学し、山本北山の門下となる。菊池五山、大窪詩仏

 等をして先々恐ろしいばかりの才能と賞された。後には、北山門下の十哲に数えられた。

 29歳で一旦帰郷。文政2年(1819)には、京で頼山陽と出会い意気投合したといわれる。

 翌年春、再従妹(はとこ)であり、後に女流詩人としても名を成す稲津紅蘭を娶る。

 文政5年秋、二人は西国への旅に赴き、備後で菅茶山、広島で頼杏坪、豊後で廣瀬淡窓

 等、多くの文人墨客と交流し、数々の名勝、旧跡等を廻った。西遊は5年にもわたった。

 旅の途次、三原に逗留している際、有名な「常盤の狐を抱くの図に題す」が詠まれた。

 故郷に戻った後も、すぐにまた京、大阪の文人、画人を訪ねる旅に出た。

 天保2年(1831)9月には、幾度も詩酒を交わした頼山陽の病床を見舞い、江戸へ下る旨を

 伝え別れを告げる。山陽病没の数日前でのことであった。

 江戸では藤田東湖や多くの旧友達と交わり、神田お玉ヶ池のほとりに玉池吟社を設けた。

 吟社開設から京へ戻るまでの10年程の間に、星巌の存在は詩人から憂国の志士へと変化

 していく。この頃、佐久間象山も訪れ交流があった。

 晩年は京にあって勤皇の志士達の精神的支柱として大きな影響力を持ったが、安政5年

 (1853)、当時猛威をふるったコレラ流行により急逝。数日後には、交流のあった梅田雲浜、

 頼三樹三郎(鴨崖)、吉田松陰、橋本佐内等が捕縛される。世にいう安政の大獄である。

 星巌も存命であれば、間違いなく捕えられていたといわれる。

 星巌は頼山陽と並ぶ江戸期を代表する詩人であった。門下にも森春濤、鱸松塘、大沼枕山、

 河野鉄兜等多くの英才を輩出し、明治期の詩壇興隆をもたらした。

 著書に「星巌集」「春雷余響」等がある。


偶興(安積艮齋)
 

 【題意】

 ふと心に浮かんだことを詠じた。

 【詩意】

 私のように無用の者は茅屋暮らしで十分だが あばら家にも春は訪れ

 花は落ち 鳥は鳴いて 春の昼は静かである

 客が来て 世の中のことを語り合ううち 意見を求められた

 李白よろしく笑って答えず 起って山を見る

 ※笑って答えずは、李白「山中問答」の笑而不答心自閑をひく。

 安積艮齋(あさかごんさい)  

 1791〜1860年。江戸時代の儒学者。陸奥国安積郡郡山の人。名は重信、別号、見山楼。

 江戸に出て佐藤一斎・林述斎に学び、若くして神田駿河台に塾を開いた。 当時は赤貧洗う

 が如しという有様だったが、意に介さず、ひたすら勉学に努め、後に二本松藩校敬学館教授、

 六十歳の時に幕府直轄の昌平黌(昌平坂学問所)教官を拝命した。

 門人には岩崎弥太郎など名士も多い。

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温泉偶作(西郷南洲)

 【題意】

 温泉にて思いつくまま詠む。

 【詩意】

 役職を解かれ ゆったりと心身を静めている

 自然に親しんでいると 零落も栄達も忘れる

 知っているだろう 湯上りの限り無い恩恵は

 ごろ寝して 瓶に挿した梅を眺めながらそんなことを考える

 西郷南洲(さいごうなんしゅう)  

  ※作者については解説の栞・人の頁に詳述。

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頼杏坪(芳野に遊ぶ)

 【題意】

 芳野に遊ぶ。文政11(1828)年の春、甥山陽の案内で芳野に遊び詠んだ。

 芳野三絶の一つに数える人も多い。

 【詩意】

 たくさんの人が酒に酔い 桜の下の草むらはたいへんな賑やかさである

 この喧騒の中 私のように南朝の昔を思い返す者がいるだろうか

 恨めしいことに 紅い花びらまでが北に向かって飛んでいく

 後醍醐天皇の御陵に花散らしの風が吹く

 【語釈】

 延元陵=南朝の後醍醐天皇の御陵。

 頼杏坪(らいきょうへい)  

 1756〜1834年。江戸後期の儒学者。安芸(現在の広島の一部)の人。

 頼春水、春風の弟。頼山陽の叔父。

 藩の儒学教師他、代官、奉行なども務め、民政にも尽力した。

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