表紙に戻る 総合目次 足あと 1章 愛郷 3章 阿智の産土神 阿智の御祭神
 水無社(水神社)

  所在地(氏子):阿智村伍和(大鹿倉)

  祭神:○罔象命(みずはのみこと(水神))
       大山祇神(おおやまつみのかみ(山の神))
       建御名方命(たてみなかたのみこと(お諏訪様))
水無社遠景:大鹿堂跡より

 大鹿倉村(現:阿智村伍和大鹿)は、青表紙縄帳(天正検地)で「下、七石、但し是ハ縄はずれ村也」とある。「村方有来訳」によると、元々向関村の宮崎氏の領分であったが、駒場下町の宮崎三左衛門への嫁入りで化粧免として大鹿倉7石を持たせた。三左衛門が改易(1668)となった後は天領になったという。延宝5年(1677)の検地では89石と石高が訂正されている。

 文化4年(1807)の絵図では、5カ所の社とその森が見られるが、天保5年(1834)に村中で申し合わせて現在地へ合社した。
 そのときの文書によると、山沿いで水が冷たいため作物の実りが悪く、阿島の役所からの指導で、田畑の日陰を避けるために行ったという。
 村人は相談して、森や林、立木を伐採し、今後は柿の木など植える際も田畑が木陰にならぬように申し合わせた。

 個々の祭神の由緒については不明であるが、水神を祀ることは、産土神として自然である。飛騨一ノ宮の水無神社とは祭神が異なっている。
 尚、近くにあった大鹿堂(観音堂)の石仏類も、戦後になって境内に移されている。

 → 『阿智村誌』 p.719
 → 『愛郷探史録』 p.99 阿智の神々考
 → 『愛郷探史録』 p.380
        向関村・村方有来訳

水無社 境内
平成8年に構造改善された大鹿地区