河内村では、古くから「てろうの山神(現伊賀良神社)」、「天神(現天満社)」の2社を祀っていたようである。慶長6年(1601)に代官の宮崎太郎左衛門安重が社家に社領米を寄進した書状が残る。
安永6年(1777)に境内を拡張した際には、既に梅宮大明神が祀られている。梅宮大明神(酒解神)は、京都の梅宮大社に祀られる安産の神であるが、飯伊ではここ1社のみに祀られている。
八幡神は、この後明治3年までの間に合祀されたとみられるが、3神とも勧請の時期や由緒は明らかでない。
社殿は明治3年に立川流で再建され、向拝に龍の彫刻(写真中)が特徴的である。尚、石垣や玉垣は皇紀2600年(昭和15年)を記念して整備された(写真上)。
河内村、栗矢村は、元和4年(1618)から明治になるまで山本の近藤氏の領地であったため、当社の宮司は近藤氏が勤めてきた。
<写真下>は秋祭りの幟で、「神徳及無辺」、「霊武弥天地」と書かれている。大正11年から使われているようだ。
→ 『阿智村誌』 p.721
→ 『愛郷探史録』 p.99 阿智の神々考
境内の石垣や玉垣は昭和15年整備
立川流による龍の彫刻
秋祭りの幟