伝教大師(最澄)が
神坂峠を越えて美濃から信濃に入ったのは、およそ1200年前の弘仁8年(817)。急峻な峠道に難儀をしたことから、旅人の苦労を少しでも和らげようと、美濃側に広済院、信濃側に
広拯院という
布施屋を建てたという(叡山大師伝)。現在の
月見堂が、広拯院跡だと言われる。阿智村には天台宗の寺として江戸時代以前より続く
長岳寺があるが、広拯山長岳寺と称しているのも、これに因んでのことである。
近年、月見堂下の万葉ふれあい館上に天台宗の宗教施設ができ、天台宗本山である比叡山から、平成12年(2000)に「
信濃比叡」の称号を授かった。
ヘブンス園原へ向かうゴンドラから、大きな銅像が見えるが、これが
伝教大師像である。台座7m、本体6mの立像で、延暦寺の伝教大師像と同一の尊像である。
伝教大師像の下段には、
千体地蔵が祀られている。現在の実数は200体弱と見えるが、少しづつ増えていくだろう。
大師像の上段には、平成17年に建立された
根本中堂と鐘楼がならび、いよいよ一大聖地の装いを帯びてきている。
2月の火渡護摩、8月の風笛の盆、9月の観月会、11月の神坂越えと、目を引く宗教行事が多い。
今回、8月20日の
風笛の盆(地蔵盆)に参加してきました。
ウランバーナ(サンスクリット語/盂蘭盆会)とは、地獄での倒懸(逆さ吊り)の苦しみを表し、死者を苦しみから救うために地蔵盆を行うのだそうです(講話より)。
夜8時前から千体地蔵のロウソクに灯を点し、僧侶3名による読経、参加者の焼香、引き続き講話と、地蔵盆の行事は30分ほどでした。お地蔵様は水子供養が主体と思っていましたが、商売繁盛や、○○家先祖供養、魚供養、家畜供養など、様々なお地蔵様が並んでいました。
そのあとイベントがあり、地元の高校生シンガーソングライター奈菜さんのミニコンサート。「ビオラ」などオリジナル3曲のほか、「赤とんぼ」、「赤い花白い花」、「ふるさと」といった誰でも知っている曲を織り交ぜての30分。
透き通った高音が神坂峠の麓の涼しい空気の中に溶け込んで行き、素晴らしいひとときでした。(取材日 2006.8.20)