運座会の「巻」
 阿智村には古くから俳句の愛好者が多くいました。今から二百年ほど前の寛政年間には中関の宮崎兎柳(本名佐兵衛)がいて関東関西の俳人と交流し、村内でもたびたび句会を催していますし、明治22年(1889)に駒場浄久寺の住職武川有無香が俳句結社「信南真(まこと)連」をおこして伊那谷を総括する活動をし、村内の会員60名といわれています。

 そのころの俳人が昭和の初期にはまだ数人残っていて、中関の近藤竜信、増田遊山、駒場の杉山愛生、佐々木亜有無らが先達となって「山彦吟社」を結成しました。このことは昭和29年会地公民館文化部の事業として、熊谷恵峰、木村昭選、安川我洗子の編集になる「やまびこ」に詳述されています。
 下の図版は山彦吟社当時、会の主導者であった杉山愛生先生の筆跡で、初めて句会に出席した小生が頂戴した「巻」です。  (H1・1)
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