亀山嘉治の扇面の詠歌
幕末の元治元年11月24日(旧暦)、天狗党といわれた水戸藩浪士の大集団およそ八百余名が、伊那街道を南下してきて駒場に一泊して行ったことは、後世まで語り伝えられている大事件でした。浪士の中で、現金屋に宿泊した亀山嘉治は歌道の心得があり、主人の乞いにこたえて書き残した扇面が右の写真です。
(S60・10)
故ありて信濃国を過ぎける時、
駒ケ岳よりふきおろす雪風のいと寒かりければ
あられなす矢玉の中はこえくれど
すすみかねたる駒のやまもと
もののふのみともゆたかにはりもたる
弓手もたゆむ浅間やまかぜ