水戸浪士亀山嘉治の歌
元治元年(1864)11月、水戸浪士およそ八百人が隊伍を組んで飯田方面から駒場の町に入り、一夜民家に分宿して翌朝馬首をかえして山本から梨子野峠越えで清内路から木曽路へ立ち去った話は、明治維新の大変革の開幕を村人の目に心に強く焼きつけ、今も語りつがれています。
この短冊は一行に中にいた亀山勇右衛門嘉治が、その宿舎現金屋(折山氏)に残していったもので、貴重な幕末の遺品です。
一首目は有名な飯田今宮休憩の折の作、
八束穂のしげる飯田のあぜにさへ
君につかへる道はありける
三首目は難読もありますが人間味ある歌です。
馬なめてわれ越えくればこしほその
すがる乙女や出て見るらむ
(S58・6)
→ 実録 水戸浪士の信濃路通行
『憂国の情やみがたし』
塩澤 尚人 編著(郷土出版社)