村医師山田文郁の漢詩
幕末のころ、駒場に山田文郁という医者がいました。屋号は槌屋、本名は治兵衛といい、堀本写真館の旧宅付近に住んでいて、水戸浪士八百余人が来て(元治元年)宿泊した時には、負傷者の手当てをしたり炊き出しをしたことが記録されています。
この七言律の漢詩は、園原の熊谷秀二さん所蔵の園原来訪者による寄せ書き帖「木賊刈」にあるものです。
「乙未仲秋園原賞月」と題し、署名は「樗村温医」と読むのでしょうか。その印影には「信南逢知関?之家」とあり「未定稿」の付記があります。
「乙未」は天保6年(1835)。
読める方は解読してみて下さい。
(H8・7)