磯丸のまじない歌

 愛知県伊良湖崎の漁家に生まれた糟屋磯丸(1764〜1848)は、一生を通じ数万首の和歌を詠じたといわれ、とくにまじないの歌が霊顕ありとして当時の人から「歌聖」とまでいわれました。
 磯丸は文化14年(1818)と天保10年(1839)の二回、善光寺と戸隠神社参拝のため駒場を通っています。二回目の時は、交際のあった木戸脇の医師後藤玄節の所へ立ち寄って宿泊したものと思われ、玄節の依頼に応じて書かれたと思われる和歌の書が後藤家と現金屋折山家に所蔵されております。磯丸が七十六歳の時でした。
 この歌はその一つで、「胸の病の治るうた」と前書して

  すませただ心の清く澄ときは
  やまひも水の淡ときえまし

とあります。「むねの病」とは肺結核のことで、抗生物質や特効薬もない時代のこと、「大気安静療法」を勧めているのは「まじない」でもあり適切な指導でもありました。  (H7・12)

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